小学生の時の作文に、
「人を助けられる人間になりたい。」
って書いてあったのが出てきました。
こんな純粋な時もあったんだよね、、ってなんだか虚しくなりました。
母のことを大好きだとか、いつもありがとうだとか書いていて、人ってこんなに変わるもんなのかと思いました。
今では殺したいくらい憎いのに。
当時小学生だった私はマザーテレサさんに憧れていて、「将来マザーテレサさんのように外国に行って貧しい人たちを助けたい!」とかも書いてました。
当時すごく恥ずかしかったことがあって、この作文を担任に見せた時に
「マザーテレサさん(笑)」
「憧れてるんか(笑)」
みたいな感じで笑われたのがその時の私は不服だったのですが、今ではその時の担任の気持ちが少しわかってしまう自分が嫌い。
(当時の担任の先生はすごくいい人でした!)
今夜の3時ぐらいなんですけど、寂しくって寝れないです。
さっき死ぬ気もないのにまた首吊りして、苦しくなって、あ、これ死ぬやつだ。って思ってまだ死にたくないな、なんて思ったり。
早く夏にならないかな、
海に行きたい。
最初の4段落を読んで、あ、これ私だ、と思いました。
親が憎くて憎くて、殺すか死ぬか、と毎晩思っていた頃、あります。
あれから何十年経ったかわからないけど今も、よく殺しもせず死にもせずに生き続けてるな自分えらすぎるな偉人として全世界から称えられて然るべき、って思ってます。
家族だからって、無条件に愛せるかって、そんなわけないよね。
他人だもん。血が繋がってたって、自分とは違う人だもん。
なんでもかんでも許せるはずがない。
これ打ってて、思い出して今また腹立たしい。全然許せてない。無理。
家族なのに、親なのに、って思う。
他人だけど、他人よりは近い人間だから、尚更やりきれない。
だからって全人類等しく憎くて許せないわけでもなくて、やっぱり人には優しくしたいし、その優しさがちょっとでも別の誰かに広がって循環していってくれたらいいな~、ぐらいの願いは、頭の片隅にありまして。
私はマザーテレサになりたい、なんて素敵な夢を描いたことはないけど、まあ、手の届くところでの小さな手助けぐらいはできるかな、それで喜んでくれる人もいるし、そんなに世の中捨てたもんじゃないよ、と自分を励ましながら生きてます。
海、お好きなんですか。
今年は夏が早いかもしれませんね、梅雨も早く来たしね。
ライフハックとしては、腹の立つ相手とは努めて丁寧に敬語で応対してみると、自分と相手との心理的距離が離れて、より「他人感」が実感できて冷静になれたので、割と良かったです。
先方から苦情や嘲り等を受けるかもしれませんが、一切、無視です。そのうち向こうも慣れます。
既にやってらしたら、ごめんなさい。