さて、4月9日、別マガ本誌発売日が過ぎ、進撃の巨人という作品が完結した。別冊マガジンの中でも傑作といわれたダークファンタジー、巧妙な伏線で世界規模の売上を誇る驚きのデビュー作。様々な呼ばれ方をしてきた壮大な約11年間の物語は、春も深くなりつつあったあの日に幕を下ろした。「進撃」と出会って半年ほどの私は、実は言うと完結日時の発表から完結当日までかなり落ち込み、焦燥していた。指には切り傷が増え、ショッピングモールでグッズを見かけ、気分を悪くし帰ることもあった。ひとつの物語にここまで悩まされ振り回される人間はいるのかというほど悶々とした日々。私は、進撃の巨人に依存していた。進撃の巨人完結までのカウントダウンアカウントを見ては、アカウントが作成されてからの日数を計算して、焦りと虚しさに飲み込まれ余計何も出来なくなる。特に、私はアニメ4期のエンディングに進撃の壮大さ、美しさと残酷さを強く見出しており(観ていた人は言わなくても分かると思うが)それを見るたび眠れなくなっていた。
なぜ?なぜ私はこんなにこの作品を愛しているのに、あと数日で別れなければいけないのだろうか。そもそも、この進撃の巨人という物語そのものが長い夢だったんじゃないのか?4月9日を世界が迎えた瞬間に、ぱちんとしゃぼん玉が弾けるように、王の支配下にいる民たちが都合のいいように記憶を改ざんされてしまったように、この世に進撃の巨人という物語は存在しなかったことになるのではないか?何度も何度もそう考えた。あと数日でこの作品は終わってしまうのならば、私が生きてくれ希望を見つけてくれと祈り続けた人間たちが幸せになろうがなるまいが死んだも同然なのでは?この残酷で美しい海と愛と命の物語を追いかけたという記憶は、時間は、すべては砂になってしまうのだ。私がどうこう言おうと、自由と真実を求め続け捧げられた心臓の行き着く先はもう決まっているのだ。それならば、今まで愛させてくれ笑わせてくれ叫ばせてくれた少年たち、兵士と戦士たちに精一杯の敬意を表し、いつか彼らに見合う人間になるのが、私が今するべきことではないのか。悔やみ振り返るのはその後でいい。骨はどうせ砂と化して消えるなら、砂になるまで飛び続ける。私と、私が大好きだったあなたたちが、ここで生きて生きて生き続けたという証を進撃の終わりを見届けた者として憶えている。それが私の生きる理由でもいいはずだ。
今も、エレン・イェーガーという少年と、進撃の巨人という物語は、あの丘の木の下で眠り続けている。さよなら、愛させてくれてありがとう。またいつかきっと。新しい物語を始めてみせてね。