半年前、辛くて誰にもいえなかった憎しみやら悲しみやらを書いて流したはじめての宛名のないメール。
それから、現状は変わっておらず、タイムリミットが近付いただけ悪化してるとも言える。
本当なら吐き出したものは忘れてしまったほうがいいと思うけど、どうしても自分の過去の感情を捨てられない。言われて傷付けられた言葉を忘れたくない。
忘れてしまったら許したことと変わらないのでは?だったら、あのとき辛い思いをした自分は?誰からも慰められることなく消えてしまうのか?
夢の先を見たいがために眠るような、意味のない自傷行為だとは思うけど。
誰からも見てもらえない、認めてもらえない哀れな自分は、自分だけでも忘れないであげたい。
時間と共に「許してもいいかな」なんて絶対に思いたくはない。
怒り続けるのは疲れてしまうから出来ないけど
忘れそうになったら、許してしまいそうになったら、詳細に書いた過去の自分の記録を読みます。
踏みにじられてそれを恨み続けて、最後に一人になっても、私は私を守りたいとおもう。死にたくなっても、全部責任転換。こんなにやられたんだから、死にたくなるよね。
だいすきな漫画に、大切な人を拐った憎い敵を研究する子が「新鮮な怒りを忘れないため」と言っていて、自分と重ねてしまった。
恨み続けてもいいんだと。
陰鬱で自虐的なわたしには、人の理不尽な当て付けまで受け入れられるスペースはなく、わたしを害した人は一生恨み続けるし許さない
私もときどきここに来ます。
私の場合、恨みというより恐怖です。もうだいぶ前の話なのに、いまだにときどきうなされます。忘れた方がいいのでしょうが、なかなか簡単にはいきません。
過去の記憶が生々しくよみがえってしまったときには、ここに来て他の方の小瓶を読みます。少しでも力になれることがあると思えばお返事も書きます。自分の中にたまった負のエネルギーを、正の形で発散できないか。そんなことも考えます。
自分のことを一番理解できるのは、自分自身だと思います。
恨みを無理に忘れることもないと思います。
もしも忘れるべきとき、許すときが来たら、そのときは自分でわかるでしょう。というより、わかったときには忘れているし、すでに許している。そんな気がします。
主さんが今より幸せになれるよう願っています。