自分に自信がない。意見が言えない。怒れない。喧嘩になると自然と涙が出てしまって、何も言えなくなる。
人と意見が対立したり、明らかに相手が間違っていても自分が折れれば丸く収まるからって我慢してしまう。小さい頃からそういうことを繰り返してたら、人に対して怒るっていうことが全くできなくなった。イライラしたりすることはあるけど、人との対立を避けて我慢することを繰り返すうちに、イライラしてから収まるまでの時間も短くなったように思う。
そんなに悪くないじゃんって思われそうだけど、人に対して怒れないっていうのは、怒ってる人の気持ちが理解できないってこと。
今の彼氏と付き合ってから、何度も何度もわたしの言動で彼を怒らせてしまった。自分は人に同じことをされても怒らないから、これをしたら彼氏が怒るだろうってことを想像できなかった。
彼氏が怒ってるとそういうことを考えられなかった自分の不甲斐なさとか、またこんなことをしちゃったって気持ちから涙が止まらなくなる。
泣き始めると嗚咽して何も喋れなくなるから喧嘩っていうか彼氏が私を泣かせてるみたいになる。私が2時間も3時間も泣いてるから、結局いつもその間に彼氏の怒りが落ち着いて許してもらう。
こんなこと何度もしてたら、ワザと泣いてるとか、泣けば許されると思ってるとか思われそうだし、何よりめんどくさいだろう。
わたしもできるなら冷静に話し合いたいけど、どうしても涙は出るし、意見は言えないし、相手が怒っていると全部自分が悪いとしか思えなくなって、ひたすら泣きながら謝ることしかできない。
最近はこんなのに付き合わせて申し訳なくて、うまく彼氏の顔が見れない。好きなのにやっていける自信がない。
ネットで調べたら全部自己肯定感の低さが原因って出てくる。
そんなことわかってるけど、そんな一朝一夕で自己肯定感が上がれば、こんなことになってないよ。
長文吐き出し失礼しました。
今までは想像できてなかった気持ちが有ることが分かって一歩前進。
お疲れ様です。
真っ先に折れることは楽な方に転がっているだけにも見えるので、貴方と対等な関係を築きたい人にとっては同じ目線で話せないことにイライラしてしまうんでしょうか。
和をもって尊しとなす、って聖徳太子も言ってます。
対立を避けることが良いか悪いかは分かりませんが、少なくとも尊いことなのは間違いないです。
つまり主さんは尊いです。
ここからは持論ですが、自己否定も自己肯定も実は同じなんだと思います。
「私は喧嘩が出来ない」と嘆くのは自己否定ですが
「私は喧嘩をしない」と決めてそれを守るのは自己肯定になります。
喧嘩をしない自信が主さんにあるんじゃないかな、って思いました。