働きたくないという気持ちを懸命に抑えて会社に入社しました。社会人一年目です。
一年経ちましたが、もう辞めたいという気持ちが心の中一杯で胸が苦しいです。
最近は段々と申し訳無いと思いながらもずる休みが多くなってきました。
辞めてフリーターになることも考えましたが、税金のことや将来のこと、親のことを考えてしまうと辞めようにも辞めれないです。
ですが、それでも辞めたいです。会社に行って使えない呼ばわりされ、直ぐに怒鳴られ、何をしても君はダメなんて、行きたくもなくなるでしょう。
何だって知らない人にそんなこと言われる筋合いはないと思ってしまいます。
そりゃあもう、会社内も36協定なんてなかった激務を耐え抜いた人が沢山いたらそんな風潮にもなると思います。
ですが、それでも、だからなんなんだと思ってしまいます。
お疲れ様でした。という気持ちよりも何故、もっと早く楽になれるような努力をしてこれなかったのか。という考えで頭の中が一杯になってしまいます。
それとも、楽になるための努力だったのでしょうか。それならば、もっと楽になっても良いのではないかとも思ってしまいます。
話がずれているような気もしますが、別に暴言が嫌だから辞めたいというワケではありません。確かに腹は立ちますが。
むしろ、人間そんなものだと思います。他人に文句言わなきゃやってられないんでしょ。といった感覚です。
何故、誰かが楽になるように努力した人達が、他人の楽を認めない。それどころかそれを否定までしているのかということです。
そりゃあ、働くのは自分の為だと言いますが、結果的にはそれが他人の為にもなっているということです。
つまり、そんな「自分の為」という凄くミクロ的なことが「他人の為」というマクロ的な部分にまで影響を及ぼし、結果的にそれが他人の「楽」となっているのです。
ですが、皆様の気持ち的には自分のことしかありません。他人のことを考えるなんてのは社会で金を貰うために他人の信頼を買うための仮面のようなものでしょう。
もう本当に自分でも何を言いたいのか分からなくなってきました。
何故、誰もが楽になるような社会を造りあげてきて、何故、未だに楽を許せないのでしょうか。
楽なんて造らなきゃ良かったのに。ということです。今がまだ昭和の時代なら自分も何も考えず怒鳴られながらも日々前進していたことだと思います。
金なんて残さなきゃ良いのに。ネットなんて作らなければ良かったのに。テレビなんて洗濯機なんて。
こんな「楽」にどっぷりと浸かってしまった人間を作って、こんな考えを知らない内に呼んでしまったなんて誰も考えないと思います。
最悪、今の世が戦争でも良かったのでは無いかとすら思ってしまいます。
国の為と大儀を抱えて死んでしまった方がこんな放したくても放せない「楽」に浸かるなんて無かった。
死と隣合わせの中に産まれる人間ドラマを現実で味わって子孫の為と死んでいった方が自殺するよりも何倍も有意義な人生だったでしょう。
中途半端に楽な世代として産まれてしまってこんな考えにどっぷりと浸かってしまって、申し訳無い気持ちで一杯です。
しかし、自分の気持ちはもっと楽したいと勝手に吠えます。これが働きたくないという考えを加速させます。
先人が子孫を楽させる為に必死な努力をしてきた。でもその子孫は中途半端な楽を受けて死にたいという気持ちで一杯になってしまった。
ですが、先人は努力の世代でそんな中途半端な楽というものを知らない。だから若者に向かって努力しろと吠える。
つまり、本当に「申し訳無いという気持ち」と「もっと楽したいという気持ち」で挟まれた自分は今日も会社を休みたいんです。
こんな自分を許して欲しいなんてのは、もっと努力しろという言葉で応戦したくなるでしょう。
今の自分は誰かの為の楽も自分の為の努力も放棄していますが。それでも休みたいんです。
物凄く複雑ですが、とにかく社会も仮面を被った他人の顔を見るのも自分が中途半端に楽なのも全部嫌いです。でも好きです。
だから休みます。会社に電話いれます。
言いたいこと言っただけだから長文云々なんて言いません。それでも読んでくれてありがとう。
毎日こんな気分です。