今日分かったこと。未来が何も見えなくて苦しくて
その理由を探っていた。表面的には何かの役に立つ
自分でいなくてはと思っていて、でも仕事で必要と
されることを必死で考えてやっていたらいつの間に
か、自分が卑下されているように感じていることに
気付いた。尊敬されたい、愛されたい、肯定され
たいと思いたいはずなのに、実際は卑下されたい、
蔑ろにされたい、無視されたい、拒否されたい
(されるべき)と思っている。なぜか。罪悪感。これ
を消すためには「許し」が必要。キリストはその
大役を果たしている。全てを今許すこと。駄目で
いい。今のままで。私が求めている未来はきっと
駄目でいいんだよって笑顔で誰かと話すことだと
思う。怒られるかな。やっぱり何かしなくちゃ
いけないのかな。世のため人のためと聞いて嫌な
思いがするのは、駄目を指摘される世の中に対する
憎しみがあるからではないか。許すことはつまり
無意味を最大に尊重することでもある。
例えば医療では臨床、つまり最有用なことを重要視
するという目的がある。ただ、命を永らえること、
苦しみを軽くすることが本当に最も大切なのだろう
か。余命がどんなに僅かでも、苦しみがどれだけ
深くても、命の価値が下がることはない。そんな
駄目だと、認められない、許せないと思っている
自分をそのまま最高じゃんって思えることでは
ないのか。普通は反対。命を永らえたいし、苦しみ
を軽くしたい。私だって現に思っている。思い通り
にならない現実があるからこそ(許す材料がある
からこそ)それを許すことに最大の救いがある。
現実を変える行動や努力をしないということでは
ない、それは意識しなくても勝手にやってしまう
こと。だけどキリがない。罪があるから許すの
ではなく、許せないから罪が起こるのだと思う。
本当は全てを今すぐに許す必要が差し迫っている
のだ。駄目であること、優秀であることがあなた
の価値を決めるのではない。命は初めから最高
なんだ。あなたは愛されるべき人です。大切な人
です。尊い人です。忘れてた。すっかり。そう
だったね。人にもそうしてあげられる?できるね、
あなたならね。
生まれてきてくれてありがとう。