私の子供は現在小学6年生、一人っ子です。
1年生の3学期から学校での問題行動が増え、先生からたまに電話を受けるようになりました。
授業に集中できない、立ち歩きなど···。
ちゃんと学校生活を送っていると思っていた自分の子供のそんな報告に本当にショックを受け、なんとか良い方向へ軌道修正しなければ、と思いました。
その当時、急に夫が相談もなく夜勤を引き受けてしまい、夫への不信感と仕事終わりで家事育児をワンオペですることになったストレスで私自身がいっぱいいっぱいでした。
私が一人でしっかり準備や宿題をさせなければ、と思ってはいたものの、まだ1年生の子供は遊び優先で、私もきつい言葉になることが多かったのです。
今思えばそれが子供のストレスになり、問題行動の引金となったのだと思います。
でも、当時いっぱいいっぱいの私はいかに問題を起こさないようにさせるか、そればかり考えていました。
先生から電話があれば子供に言い聞かせ、次はこうするんだよ、とアドバイスをする。
しかしまた数日後に同じことで電話がある、の繰り返し。
大きくなれば分別がついて、自然と授業態度が改まるだろうと考えていたけれど、むしろその逆で、学年が上がるごとに問題行動の種類は増え、頻度は上がり、5年生の1学期には週に3回電話を貰うことも。
2日連続なんて時もザラでした。
同じ内容でも1年生では許されることも5年生では許されなくなり、どんどん粗が目立ち、何度言い聞かせても改めてくれない子供に苛立つ毎日。
先生からの着信にもどんどん追い詰められて行き、最終的には着信画面に表示された学校名を見ただけで身体が冷たくなり、指先が震えるまでになっていました。
また、これは完全に自分の問題ですが、直近の1年間でコロナ、子供の入院、流産と長期で仕事を休まざるを得ないことが起こり、会社に対して申し訳ない気持ちをずっと抱えていました。
特に流産は私の精神的ダメージが大きく、そんな中で子供は5年生になりました。
私はそんな精神状態の中で常に死ぬ事を考えるようになり、実際に何度か自殺を試みたこともありました。
そして、夏休み1週間前のある朝、夫を送り出した後に子供とささいなことで口論になりました。
私の心はすでに満タンのコップの様で、1滴落とされたら溢れそうなくらいギリギリで毎日なんとか自分を保っていたのですが、その本当にささいな口論がトドメの1滴となってしまいました。
あまり鮮明に覚えてはいませんが、私は錯乱し、怒鳴り、子供を蹴飛ばし、首に手をかけて一緒に死んで欲しいと懇願したそうです。
子供は抵抗し、私を振り切って登校していきました。
その後、我に返り夫へ電話し自分のしたことを報告しました。
夫も私の様子が尋常ではなく出勤途中で引き返してきました。
そして、子供はあまりのショックで家で起こったことを先生に相談し、学校も只事ではないと児童相談所へ連絡。
そのまま一時保護されてしまいました。
子供に会えなくなり、後悔の波が幾度となくやってきて、毎日毎日子供の名前を叫び、泣いて、自分の最低さに生きていて言い訳がないと思った直後に、子供と会いたいから死ねないと思いとどまる。
でも自殺に関する本と生きるための本を交互に読む、そんな訳のわからない精神状態の中で、子供ともう一度会うためにまずは自分を見つめ直して、治療をしっかり行うことになりました。
心療内科では鬱病と診断されました。
今も薬を飲んでいます。
でも、日常的な虐待が無かったこと、私が育児で追い詰められていたこと、ちゃんと反省して治療をしていることを鑑みて、比較的早い段階で一時保護は解除となりました。
もちろん、警察にもお世話になりましたが、上記事情に加え、子供がこんな私でも母親と認めてくれて好きでいてくれて、許すと言ってくれたおかけで前科はつかずに終わりました。
一時保護解除となったあとは、子供は近所に住んでいる私の実家へ引き取られ、生活しています。
近所なので、朝我が家へ来てから今までどおり登校し、帰宅後、私の実家へ帰るという生活です。
学校からの連絡も私の母か夫へ行くようにしてもらい、私には一切の育児負担がかからないようにしてもらっています。
また、子供も発達特性の受診をして、薬を飲みだしたことで、落ち着いて授業が受けられるようになり、学校でのトラブルも減ってきました。
児童相談所、学校、家庭で何度も面談をし、トライ&エラーを繰り返し、子供本人の意見も聞きながらなんとか毎日を過ごしています。
そんな生活が半年ほど続き、私も心が安定してきて、子供とも心穏やかに関われるようになってきたので、現在、週末の金〜日は我が家に泊まれるまでに生活が戻ってきました。
あとは平日もこちらで過ごせれば、もとの生活となるのですが、これに関しては我が家に完全に戻ってくることがゴールではないと思っています。
最終的なゴールは誰かに負担が集中したり、同じようなことが起きたりせず、子供が笑って過ごせることなので、必ずしも私と子供が一緒にいることが絶対ではないのです。
心に余裕が出来てきた今、子供と過ごす穏やかな時間は本当に幸せで心から可愛いと思えますし、毎日一緒にいたい気持ちもありますが、平日は学校との関わりが出てくるのでまた私の心が耐えられなくなったら···という恐怖も同じくらいあります。
子供は我が家に完全に戻って来たいと言っていて、私にも今まで以上に好きと言って甘えてきます。
その気持ちを尊重してあげたいのと、また自分がおかしくなってしまわないかという不安との板挟みです。
今後、私は母親として、また子供と過ごすことができるのでしょうか。
自分のしてしまった事の重さと、それでも変わりきれない弱い自分と、こんな私を許してくれて愛してくれる子供と、私を支えてくれている夫、母と父、理解して支援してくれる学校と児童相談所の皆さんに対する感謝と申し訳なさと、全部ひっくるめて心がぐちゃぐちゃで吐き出させてもらいました。
長文で本当に申し訳ありません。
ここまで読んでくれた方がいたら、本当にありがとうございました。
203310通目の宛名のないメール
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お返事が届いています
苦しい思いをされましたね。
今は、お心に余裕ができたそうで、本当によかったですね。
「授業に集中できない、立ち歩き」などは、発達特性であると、学校の先生は早めに気づくべきだったと思います。(教育する立場なのに、発達について学ばなかったのか・・・?)
「問題行動」などと子どもを悪者にしたり、何度も親に電話して注意するなどは、心を追い詰めてしまいますよね。
これからの不安などは、役所の子育て相談や発達障害者支援センターなどでアドバイスを受けてはいかがでしょう。
お身体を大切にお過ごしくださいね。
以下はまだお返事がない小瓶です。お返事をしてあげると小瓶主さんはとてもうれしいと思います。
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