例え話で恐縮ですが。
学者は色々な事を知っています。
だからこそ、『これが絶対に正しい』『こうするのが正解で、それをしないのはバカ』といった言い方はほとんどしません。
だから、人から『○○についてどうすればいいのでしょうか?』と聞かれても、きっぱりとこうするべきだとは言いません。最終的には『どうするかはケースバイケース。人それぞれ。最後に決めるのはあなた自身です』といった感じの言葉で会話を切り上げてしまいます。
相談した人は、『結局どうすればいいのかは自分で決めないといけないのか』というモヤモヤを感じて、不安を抱えながら決断を下さなければいけません。おそらく、学者の事を『責任逃れの達人』程度にしか思わないことでしょう。
一方で詐欺師は、大してモノを知らなくても、自信満々に語ることは得意です。
『断言は致しかねる』『状況や立場によって真実は変わりうる』なんてことはまず言いません。
相談しに来た人に対しても、『当然こうするべき』『これは絶対に正しい』と言い切り、考える負担を与えることもありません。
相談した人は、詐欺師の事を『知恵があり、人間的な魅力もある。自分を導いてくれる素晴らしい存在』と思うことでしょう。自分がはめられたと気が付くその時までは。
一般的には学者の方が詐欺師より誠実、と思われるでしょう。
しかし、この例えでは学者は不安しか与えていません。一方の詐欺師の方は、『この人は自分の言葉に誠実な人だ』と相談者に思わせることに成功しています。仮に裏切られたと気付いたときのマイナスと、その詐欺師を信じていたトキノのプラスを比べたとしても、前者が後者を上回るかは分かりません。
もしかしたら、学者よりも詐欺師の方が誠実と言うことも可能なのではないでしょうか?
お手紙感想文。
面白い。でも、違うと感じてしまう違和感。
学者は、自分の不安→考えの提供→不安解消したりしなかったり。
詐欺師は、自分の不安→他人の指示→一時的には安心だけど大抵は後で後悔。
太ることへの不安→痩せる食べ方や運動→改善したりしなかったり。
太ることへの不安→効きもしないサプリメントの提供→痩せる希望を持つけど、結局はお金を無駄に使うだけ。
詐欺師も一時的には誠実?か??。結果として誠実ではない。
一期的な救いを誠実とは言わないから違和感。
嘘始まりの一期的な救いはやっぱり詐欺。
学者の不安を煽るだけの意見を誠実とは言えないけど、嘘始まりでないならまだまし。
データ収集の仕方が統計学に関係なく偏ったデータを収集して売名行為のために論文を書いているなら詐欺と一緒。