嬉しいだろうか。
こんな私からの言葉が嬉しいと思ってくれるだろうか。
私はよく色んな人にお返事を書く。
それは、大人にも、私と同年代にも、年下にも。
私と違う立場の人だっている。
社会人、学生、小学生、高校生、お母さん、お父さん、弟、お姉ちゃん、お兄ちゃん。
皆違う立場だけど、皆辛いと言うのは変わらない。
私は色んな人から、お返事を貰ってきた。
やっと心に余裕が生まれた。
だから、お返事を書こうと思った。
せっかく書くのだから、色んな人に書きたくて、
年代を絞ったりすることは少なくしている。
私みたいにお返事から元気をもらって、明日を頑張れる人が出来たらいいなと思っている。
でも、結局、私が言っていることは全部綺麗事なのでは無いかと思ってしまう。
元気になって欲しい。
だから、色んな言葉をかける。
「大変だったね。」「苦しかったね。」
「お疲れ様です。」「辛いですよね。」
「分かります。」「凄いです。」
「優しいですね。」「偉いね。」
「もう少し頑張って。」
「あなたが少しでもいい方向に向かえますように。」
「このお返事があなたの力になれたらとても嬉しいです。」
こんなことを言っているけど、
私も死にたくて、生きているのが嫌で、
味方なんて誰もいない気がして、
人生辞めたくて、お母さんが大嫌いで、
馬鹿で、要らない子で、
誰の1番でもなくて、恋人も親友も取られて、
失敗しかなくて。
偽りのお返事でも嬉しい?。
本当に思ってることもあるけど、イライラしてしまうことがあって、お返事を再確認して、訂正して流す。
「死にたくても死ねない」
じゃあ、死ねるまで生きていればいいじゃないか。
「妹がウザい」
その立場じゃないくせに。
「疲れた」
勝手に休めばいいじゃないか。
「親が暴力を振るってくる」
私もそうだよ。
「死にたい」
勝手にしなよ。
違う。そんなことを言いたいんじゃない。
でも、そんなことを思っているのが事実だと思う。
そして、私が思っているそんなことは、
私が私自身に言いたいことだ。
私は死ねなかったから生きているし、
休めないから休まなかったし、
暴力も我慢してきたし、
死なないでいる。
私は褒めて欲しいのだろうか、
私は誰かに冷たくされたいのだろうか。
こんなことを考えているから、時々お返事にも言い返したくなってしまう。確かに元気を貰うんだけど、どうしてもイライラしてしまうことがあって。
私はいつも裏でこんなことを考えている。
それでも、私からのお返事が嬉しいなら、それでいい。
私の中での不正解をお返事に載せるしかない。
「分かります。それは大変ですね。
私が近くにいたら、一緒に乗り越えて上げたいのですが。死ぬのは難しいですよね。
けど、死ぬ以外の逃げ場なんてなくて、辛いですよね。
いつかきっと、あなたが幸せになれる日が来ますように。もう限界かもしれませんが、頑張ってください。」
嘘だ。「いつかきっと」なんてないと私は思ってる。
しばらくお返事を書くのは休もうかな。
でも、元気をもらったのか変わらない。
お返事を書くか書かないかは私の自由か。
私はきっと、誰かに褒めて欲しいのだと思う。
何を書いているのか分からなくなってしまった。