その少女はまだ温かいタマゴを拾いました。スベスベでざらざらの真っ白なタマゴを拾いました。貴方はだれ？少女が

その少女は、まだ温かい
タマゴを、拾いました。

スベスベでざらざらの
真っ白な、タマゴを拾いました。


貴方はだれ？

少女が聞きました。


まだわからないよ。
君はだれ？

白いタマゴは
少女に問い返しました。


パパとママの子どもだよ。

少女は屈託もなく
笑って言いました。

空は快晴でした。
青空でした。


ねぇ、貴方はどうして
貴方が誰だか分からないの？


タマゴは応えていいました。

まだ、わからないんだ。

だから私はまだ
私が誰だか分からない、

けれど昔、自分が何者だったか
それは覚えているよ。

風が芝生を吹き抜けていきます。
少女の髪を撫でて
タマゴの殻の表面を
滑らかに滑るような、良い風でした。


私は昔、ある男だった。
人間だった、

君は、人間かな？

少女は小さく
頭を動かして頷きました。

暫くして、はっと気がついて
うん、と答えました。


タマゴは続けました。


私には妻と子供がいて
彼らのために毎日、働いたんだ。
毎日が彼らと、私のために
繰り返しの演目だったよ。


大変だった？

少女が聞くと、
タマゴは直ぐに答えました。

そうだね。

そしてまた、続けました。


ああ、でも
楽しい日々だった、

大変だったけれど、
とても、大切な
大切な思い出なんだ。


それならどうして、
貴方はここにいるの？

そこへ帰らないの、
と少女は尋ねました。


帰れないよ、

草木がうたた寝するように
右へ左へと、体を揺らしていました。

もうその男の舞台は
終わったからね。
お勤めが終わったのさ。

タマゴはおどけて
そう、いいました。


これから私は
今こそ新しい舞台へ
出ていなくてはいけない、
この殻を破ってね。


分かってか、知らずか
少女は再び
疑問を投げかけました。


どうして、まだ出てこないの？
早く、貴方に会いたいわ。


何処かで鳥が鳴いているようでした。

私も君に会いたいな。
けれど、その為に
私はここから
出なくてはいけないんだ。


どうして、早く出てこないの？


薄白い雲がゆっくりと
空を渡ります。
ゆっくりと動くようで
形は瞬く間に変わるようでした。


とても幸せだったんだ、

ここから出るのが
私にはとても怖いんだよ。


震えているかのような声でした。

私の幸せな日々を、

忘れたくない
大切な思い出を失ってしまうから。


タマゴが言うと、
少女は悲しそうに言いました。


思い出は、大切ね。
それでは私は、貴方に会えないの？


悲しそうな少女を慰めるように
タマゴは優しく答えます。


大切だよ。特に幸せな思い出は
次への希望をも負かす。
けれど、時に
踏み出すことも大切だよ。


ところで

君を新たな希望に、
ここから出てみてもいいだろうか？
ここに望みはあるだろうか？


いいよ、と
よく分かりませんでしたが
少女は承諾をしました。


暫しの沈黙を、
春が駆け抜けてゆきました。


生まれ出でてきたのは
黄色い小鳥です。

言葉を忘れた彼は
真白な肉体と心とを携えて
新たな一歩を踏み出しました。


少女はしゃがみ込んで
砕かれた石灰のカケラを一つ
つまみ上げました。

それはもう、
ただの普通の殻でした。



彩る譜
（おすすめ配信？が停止してから、めっきり覗きにくることが減りました。怠け者です。）