ふとしたときに死について考えてしまう。
意識的じゃないのに。考えたくて考えてるわけでもないのに。
なんでだろうか。私が暇だということを表しているのだろうか。
なんでかしらないが考えてしまう度に発狂しかける。たまに発狂する。
息は荒くなり心臓はバクバク言って死にたくないとか嫌だとか
ずっと連呼してる。涙がずっと出る。
もう・・・いやだよ。こんなこと考えて寝れなくなるのはいやだよ。
運動してもどうしても考えてしまう。暇を作らないようにしても考えてしまう。
今これを書いているときもずっと・・・・・・・。
どうしたらいいのだろうか。誰か教えてください・・・。
結構マジな方で教えてください。
h25・12・12 pm11:34
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ななしさん
よかったらですが、
解剖学者、養老孟司さんの本をおすすめします。
*自分は死なないと思っているヒトへ―知の毒 (だいわ文庫)
*バカの壁(新潮新書)
*死の壁
わたしは、これらで結構、生き死にについて「へー」と腑に落ちる事が多かったです。
まいたん
ななしさん
死について考えることは、きっとどんな人でもあると思う。
それはどんな命もいつかは死んでしまうから。
心臓がバクバクいって涙が止まらなくて、すごく辛くなってしまうほど考えてしまうんだね。
無意識下のあなたが、心臓バクバクさせて涙だして、自分は生きてる、って毎回確認してるのかな。
どんな命も生まれることから宝くじの当選みたいなかんじだよね、生まれてしまえばこっちのもんだけどね。
何歳まで生きるかわかんないけど、私たちは生まれたときから生き続けてるよね。
死について考えるのは、生き続けてきたこそ自然なことなんだよね。
だけど、それにとらわれすぎてしまうと、今という今しかない瞬間が、どんどん過ぎていくよね。
死を身近に感じたとき、私たちはよく死について考える。
その亡くなった命自身、生き様が素晴らしかったり、とても愛しかったり、尊いと感じれば感じるほど、死について考える。
そして、漠然と世界から見放されたような感覚に陥ったときも、考える。
孤独、空虚、堕落、虚無感、そんな感覚になったとき、覆いかぶさるようにやってくる。
みんなそんな大差なく生きている通過点で考える。
あなただけじゃない、そんなことよりもっと考えることがいつの間にか見つかって、気がついたらあれ、そーいえばそんなこともあったなって、そんな自分がいるから大丈夫。
ななしさん
【小瓶主さんからお返事きたよ】
腑に落ちますか・・・? 探してみます。
ゆっくり読んでたら何とも言えない気持ちに・・・。
もう少し悩んでみます。
主。
ななしさん
死という絶対の事象を忌避し、逃避を企てながら招かれざる死の冷たい口づけにあらがってる証拠です
頑張ってね
ななしさん
所謂スピリチュアル的に言えば言い方があるのかもしれないが、それはそれとして、書く。
オン・バザラ・タラマ・キリク・ソワカ
これは、千手観音の真言である。厳密に言えば、サンスクリットの(千手観音の)真言を、日本語のカタカナでその音を表記したものである。これを唱えるのも、いいと思う。
あなたには、それなりの心の支えが必要だと思う。神でも仏でも、どの神でもどの仏でもいいのであるが、そういう支えがあった方が、あなたにとっては生きやすいと思う。
或は、日本で普通に言うならば、時間と金があるという前提で、四国八十八か所巡りをするとか、観音霊場などの霊場巡りをするとか、そのようなことも、ある。たとえば自分の守り本尊の像を買ってきて部屋において、毎日水をあげて手を合わせるということも、心の支えという点でも、或は他の点でも、一つの方法としてはある。家に仏壇があれば、その本尊と先祖に水や菓子などを供えて、回向文とともにその本尊と先祖にお経を(毎日)あげるということも、一つの方法としてある。そのようにして、功徳を積むというのが、あなたにとっては、大切なのかもしれない。
神仏に祈るとして、他に祈る対象がなければ、千手観音に祈ることをすすめる。
余り役には立たなかったかもしれないが、この辺で書くのを止める。
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