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世の中的には恐ろしい親とされる暴力を日常的に振るう親だけど、私は母への苦い思いはあっても、父には息苦しくなるような切なさしか持っていない

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父の暴力はアルコールはまったく関係がない。小学生の頃、うちの親が暴力ふるっているらしいとどこかで伝わって、先生から父親は飲酒するかと聞かれた。飲酒はするけど? うちの父はアルコールで酔ってると機嫌がよかった。その時は暴力がない。冷静に我が家を見た時に腹が立っての暴力。

私の子供の頃はDVという言葉はなかったか、広まっていなかった。虐待というのは聞くけど、私は父の暴力を虐待と思っていなかった。

他の子供や、親の暴力のタイミングって子供はものすごく見てる。どういう時に暴力になるか。怖いものが始まるのに、気にしないわけがない。
アルコールで暴力なら、飲み始めたら、そろそろ始まるってわかるだろう。
うちのは、父が食事前後にそれは起きることが多かった。
覚えているきっかけが
・母の作った料理がまずい(そして本当においしくないと、成長して知る)
・部屋が汚すぎる(本当に汚い、私たち子供が汚したわけじゃなく、母の衣類の散乱。私たちは子供部屋を与えられていて、自分たちのものはそこに避難させていた)
・お金の問題 姉の高校進学だったり、塾に行く行かないだったり、お互いの実家での何かがあった時など(子供が生まれる前に、母の家計管理がずぼらだということで父が管理して、食費生活費等だけ母に渡していた。そのお金も管理ができていなかった。予想外の出費に関しては父が出す出さないを決めていた)

小さい時は父が怖かったと思う。小学に入るぐらいから、父が母に言う言葉がその通りということがわかるようになった。同い年で仲良くなった子の家は、うちみたいに衣類が散乱していないし、手作りのお菓子もおいしい。たまに食事もごちそうになって、うちとの違いに子供ながら驚きと惨めさ両方でいっぱいになった。

だから、母への不満はずっと後まであっても、暴力以外は、父が言うことが的外れだったわけではない。それで私は父への思いが複雑になる。

父が暴力を振るうのは、やりきれない怒りの表れ。後で統合失調症の姉にも暴力を振るうようになったが、精神の病気と認められない、どうして自分の娘がこんな変なことを言い、他の人ができることができないのか、そういう苛立ちの表れ。

どんな理由があっても暴力はいけない、という説は、私が高校の頃から始まった。中学では全校生徒がいる中、暴力を振るった男性教員がいても、何の問題もない、あの先生は怖いと私らは学んで、授業では誰も居眠りもおしゃべりも、手紙交換もしない。
そうやって教師が怖いんだ、怒らせてはならないと持って行く。

今、同じことがあれば、他の生徒の親、その子の親から続々抗議の連絡が入る時代。教育委員会で会議にも出されるほど。その差が父にある。父が学生の時、社会人の時、いくらでも暴力があり、父も暴力に抵抗がない。

私の同僚で、子供のしつけなんて、ビンタ一発かゲンコツで簡単だ、と言っていた人もいる。

私の世代は、暴力に対する抵抗はその程度。今の中高生と意識が違う。

冠婚葬祭に着ていく服というのがある。その服の準備ができていないこともあったし、冠婚葬祭で出すご祝儀や香典などのお金を、母はとっさに出せない。
黙って実家に借りに行っていたのでは、と思う。
詳しく聞いたことはないけど、決まって黙って外出し、母が帰宅すると父の叱責が始まり、暴力も入る。

後で思うに、母は他の多くの女性ができるものができない人だったのだと思う。
料理も掃除も。他の家を見て、自分の家も同じにしようという発想もない。
でも父も私も、なぜこの人は他の妻・母親がすることができないのかという、苛立ちや、あきれや、言葉にできない怒りみたいなものを抱かされる。

父が不倫をしていた、しているというのは中学の時に察した。当時は汚い!と思った。でも大人になると、良妻を持っていても不倫するのはするし、ましてや、妻にしたのが一般的でもなく不満だらけなら、離婚か他の女に走るかである。
離婚が困るのは、父の実家では結婚するなら絶対離婚しないと誓わせられていた。このご時世で母の方は離婚した人が2人はいる。父の方は一人もいないのである。

父のことを憎めない。大人になれば不倫程度で父親失格とも思えない。
父は実家の祖父母、特に祖母(実母)から嫌われていた。そのせいで他の兄弟からも、隔たりがあった。父方の祖母のお葬式に参列した時、それがまざまざと感じられて、娘として切なくてたまらなくなった。

父は子供の頃、靴下を買ってもらえなかった。寒い中、足が凍るような感覚で靴下を心底欲しかったのだろう。しかし父の親は買ってくれなかった。
だから、私に会う時、必ず靴下を買って渡してくれた。私は仕事上、ストッキングかタイツしかはかないんだけど、それらを切ない思いで受け取った。子供のことを全然思っていない親じゃない。

父の小さい時のことを思うと、私が母から見向きもされないのとかぶって、父の悲しい人生を思うようになった。
私の大学も、いざという時は金を出すからと後では言ってくれた。(大学に行く前に父に断りを入れてない、金を出さないと言われて、バイトと奨学金で大学行ってた)

姉の病をけして受け入れなくて、その時は父を呪った。でも、父の人生全部を考えた時に、暴力を振るわれても、母と結婚していなければ、そう思ってしまう。

父は心臓の異常を隠していた。そうして突然の発作に襲われ、人のいないところで倒れ、助けを呼ぶことができないまま息絶えていた。発見が遅くて、警察の人が司法解剖することにもなった。
母はすでに亡くなっていて、あまり間があいてなく、私が母の死のショックを引きずっている時に、警察からの連絡で、なにがなんだかわからなかった。

それからずいぶんと時間がたって、私の心の傷を打ち明けると、人は父の暴力のほうに注目する。他のDV親は違うかもしれない。うちの場合はDVで子供の心を傷つけたんじゃない。恐怖はあったと思うし、少しも傷ついてないとは言っていない。だけどズタズタにされたのは、それではないと言い切れる。

父が暴力を振るい、母は母らしくない、他人にそう見られることに傷つけられた。他の家と違うということに傷つけられた。暴力が怖くてたまらなかったという記憶がない。絶対にあざになるほどではなく、ビンタ数発まで。

父は私が反抗することを止めなかった。
そうやって成長するんだと後で言ってもくれた。
私が女の子だからでもあると思う。
男の子を望んでいたというけど、もし男の子がいたら、父にどれだけの期待をかけられ、力強さを求められ、暴力だらけになっただろうと思う。

少なくとも、言いなりになることを子供に求める母より、父のほうがまともな親らしさがあった。

父は一生の中で、何か得られたんだろうか。暴力で得られるものはないとわかっているのに。離婚していたら、別の人生だっただろうに。
残された父のバッグの中に、紙切れがあった。
そこに私への応援の言葉が殴り書きのようにあった。
今も大事に持っている。

DVがあったから、虐待と人は言う。その時に何か違和感を感じる。暴力なんて、私の子供時代、他の子供も普通にあって(うちみたいなものじゃなく、何か大きな失敗などがあった時)、ビンタ程度で暴力反対!っていうのかな。
浮気した男にビンタ食らわせてお別れよ、というのが流行った時期もあるのにね。

世の中には母のように、家庭向きじゃない女性もいるし、そういう人は子供は自分に追従するものとして欲しがる。生まれた子供が追従しなければ、見向きもしなくて、他のところから苦情が入れば、あんたのせいで、と言う。

離婚したほうがいい夫婦というのが、うちの両親なので、他の人の離婚で残念だとか私は思わない。子供ができるまでに離婚していたら、二人とも、そして生まれなかった私も、違う未来があったのに…。

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