自分の二十代の恋愛を思い出します、最近よく。
長いです。ごめんなさい。私のように貴重な二十代を台無しにする女の子が減って欲しくて、自己肯定感の低い女の拗らせた恋愛の大失敗談として書いておきます。
長文がしんどい方のために短く書くと、
1、私は自責型鬱持ち社会人
2、最低彼氏に大怪我を放置される
3、プロポーズを断る
4、隠し子持ちと結婚して離婚
といった内容です。
………
初めて自分から告白した人でした。私は毒家庭育ちの搾取子、しかも毒家庭あるあるの、テンプレ通りの芋女だったので、友達?から、釣り合ってないとバカにされ、プゲラされまくりました。自分磨き。頑張りました。
多分、その彼も、誰でもよかったのでしょうね。連絡は全て私から。クリスマス、盆暮れ正月何があっても自分の友人を優先し、たまに会っても会話が全くありません。夜に電話しても、毎回何時間も何時間もお互い黙ったままなのでした。いつも私からの電話代がもったいなかったです。
いつも一人で泣いていました。でも、人前ではいつも笑顔で能天気そうに、頑張っていました。
当然、名前をちゃんと読んでもらったことは付き合った六年間で一切!全く!ありませんでした。
体の関係になったのは付き合って半年後でした。
数年が過ぎ、なんとなく彼は私に慣れた?ようで、
何気なく話をする間柄になりました。
が、話すことといえば、意地悪く私を貶す言葉ばかりでした。
「おめえのそのぺちゃ鼻の平たい顔は、鼻を殴られて陥没したんやなあ、(鼻で笑う)」「おい、〇〇田 芋美、あっち行けよ」など。
もちろん、誕プレもクリスマスプレゼントも私からばかりで、彼からはいつも何もありませんでした。
複数人で遊びに行っても、グループデートをしても、私は一人ぼっちで放置されました。一緒にいるのが恥ずかしいからなんだ、もういいや、いつものことだ…と、私もいつも惨めな気持ちでいっぱいでした。
しかし二人になると体を求めて来ました。
避妊はしていませんでした。
彼の性格上、避妊具を買いに行くのが、恥ずかしくてカッコ悪いからでした。
こんなにも酷い扱いを受けていたのに、私は、いつも自分が悪いんだ、自分が元いじめられっ子だから、自分が魅力ないから、ブスだから、といつも一人になると大泣きしながら反省して、頭皮を血まみれにしながらむしっていました。
惨めで情けなくて、幸せそうな友人たちが羨ましくて。
みじめな年月はどんどん流れます。
ある年、大勢でスノーボードに行きました。
私達は付き合いが長くなっていて、彼の両親からも、仲間内からも、もう公認の仲でしたが、
当然、そこでも私は彼から放置され、一人ぼっちで滑っていました。
みんなが、大きなジャンプ台に挑戦しています。
失敗しては笑い、成功しては笑い…楽しそうでした。
私もヤケクソになって、ジャンプ台を飛び立ち、
空中を放物線を描いて飛び出し、
そこから記憶がありませんでした。
気がつけば、
スキー場のレストランで、彼から離れた席で、
座っていました。
気絶から目が覚めたのです。
凄く痛いです。座っていられません。
彼は遠くで知らんふりをして仲間たちとカレーを食べ、ビールを飲みタバコをふかしています。
仲間の一人の男の子が心配して、自分のステーションワゴンの後部座席を開けてくれて、寝かせてくれました。
そして、「彼女がどうも怪我をしてる」と、私の彼氏に伝えに行きました。
帰ってきた答えは「ほっとけ」だったそうです。
結局、彼らは、日が暮れるまで滑っていました。
伝えに行ってくれた男の子は、
「あいつを殴ってやりたいと思った」と、怒りに震えながらそう言ってくれました。
この男の子が彼氏なら良かったのに、と思いました。
でも、この男の子は、友人の彼氏でした(笑)
私は、泣きました。ずっと泣きました。
車の後ろで、痛くて、惨めで、泣きました。
次の日、自分で病院に行ったら、腰骨を骨折していると言われ、尿管に管を刺され、そのままずっと仰向けに寝たきりの入院生活となりました。
「大怪我じゃないか!!なぜ、すぐに病院に来なかったのか!!」と注意されました。
放置されてたんです…なんて言えませんでした。
ずっと一晩中泣きました。
さびしくて自分が惨めでこんなにも愛されてなくて泣きました。
看護師さんが、毒家族に、私が泣いていたことを伝えてくれました。
毒祖母は、病室で私に
「おめえ、メソメソ泣いたんやってか!!情けねえ!!バカか!!」と怒鳴りました。
彼が、自分の休みの日に見舞いに来ました。が、たまに喫煙所に行くか、憎まれ口を叩いたり私を小馬鹿にするか、ずっと黙って座っているだけでした。
向かいのベッドでは、おばあさんが座って、食事をしている訳でもないのに、口を始終モグモグさせていました。彼は、ニヤニヤしながらおばあさんの顔真似をしていました。
彼に対して初めて激しい嫌悪感を覚え始めました。
なぜ。スキー場で私を放置したのか、聞きました。
答えは「俺は一番におめえに駆け寄った。声かけてもおめえは返事をしなかった。次に他のやつが声をかけたらおめえは返事をした」と答えました。
私は「気絶してたのに…!」と言いました。
(彼はいじけただけか…ガクッ。)
そしてその話は、それ以降、有耶無耶にされてしまいました。
わたしは数カ月後退院し、自宅療養期間を経て、職場に復帰しました。
付き合ってかれこれ六年、彼の誕生日の日。
私は、彼に大して、スッカリ冷めきっていました。惰性で怪我から数ヶ月経ちました。性欲も全くなくなってしまいました。
余談ですが今も全くありません。
車の中でじゃあ帰るね、と車を降りようとしたとき、彼が
「そろそろ、結婚とか…」と言いました。
その時、辛くて惨めで情けなくて泣いてばかりだった六年間が駆け巡りました。
この彼と結婚したら、一生、今までの苦しみが死ぬまで続くんだ…と。今まで、私の犠牲と我慢の上で成り立っていた関係だったのだと。
私は結果、断りました。お別れしました。すでに私は27歳。アラサーになっていました。
彼は、すぐに他の人とデキ婚したそうです。
2年後、告白されました。
次の彼氏は大学時代に認知したという隠し子が発覚したのですが、その母親である、その彼氏の元カノからの執拗な復縁と呪いの言葉の数々。包丁。
元カノにいい顔ばかりして決着しない次の彼氏と、逃げるように遠くへ嫁ぎましたが…
そんな理由で結婚してもうまくいくはずがありません。私は鬱が最悪化し、何もできなくなり、「こんなの僕が好きになった私ちゃんじゃないやい」と、元旦那からアパートの契約を止められて追い出され、離婚してバツイチとなりました。
結婚から半年、私は30歳を超えていました。
そこから、一人で頑張って生きて来ました。
………
もっと、自分を大事にすれば良かった。
一番キレイで輝いていた二十代を、台無しにしてしまった。
でも、渦中にいると時分が時分をだいじにできてないことなんて気づきようがないんですよね。
だから、私の情けない恋愛話を読んで、こんな惨めな恋愛なんてしない!と、誰かの約に立てれば、あるいは、誰かの暇つぶし程度にお役に立てれば嬉しいです。
実話なんです。情けないですけどネ。
読んでくださって、ありがとうございました。
誰でも無料でお返事をすることが出来ます。
お返事がもらえると小瓶主さんはすごくうれしいと思います
▶ お返事の注意事項
ななしさん
自分の恋愛を、こんなにこころが痛いのに、自分から話せるなんて、なんて、強い人。
情けなくて惨め?そんなこと、おもいません。いろんなことに失望して。いろんなことを乗り越えて。いろんなことを我慢して。いろんなことを決意して。絶望したりすることがあっても、自分の足でたって、歩いて、生きてる。
あなたは、かっこいいです。とても。
結婚、できますよ。大丈夫。
あなたの経験は、無駄じゃないから。あなたが自分を大事にする選択ができて、本当によかった。幸せな恋愛がまたいつか、できますように。
自分を、大事にするってどういうことか。
甘やかすのと何が違うのか。傷つかないように、傷つけられないようにするのと何が違うのか。時々考えるんです。
むずかしい
でも、自分の本音の部分の気持ちは置き去りにしちゃだめだとおもうから。そういうことなのかな。
お互い
自分を大事にしていきたいですね
誰でも無料でお返事をすることが出来ます。
お返事がもらえると小瓶主さんはすごくうれしいと思います
▶ お返事の注意事項