いつか死ぬ
どうせ死ぬ
生きる意味なんてない
生きる理由なんてない
それでも僕らは死ねずに生きている。
それがなんだか面白いと思ったんだ。
どうしてだろうね?
どうしてかな?
そんな疑問は苦しいかい?楽しいかい?
生きるだの死ぬだの考えていない時間も僕らは生きているし呼吸を止めていない。何故生きているのかわからなくなっている間も僕らの心臓は一生懸命働いている。それでは不満足だと、僕らの脳みそは一生懸命ほしい答えを探してる。
心底面倒な問いだ。それでも求める人がいる限り考えをやめるわけにはいかない。誰かが今も、己の生きる意味や理由に悩み苦しんでいるとするならば、それは私の苦悩でもあるのだから。
最適解はおそらく出せない。それの答えは多岐にわたる。『ご飯が美味しいから、明日のご飯のため』の場合もあれば、『助けを求める人たちがいるから、そんな人たちを助けるため』という場合もある。1人につき1つの解答ということもなければ、白紙で提出してくる者もいる。そういう問いなのだ。
随分とまあ、楽しませてくれるじゃないか。
タイムリミットは死ぬまでの間。
さーて、それじゃあ今日も悩み苦しもうか。
自らの価値、生の意味、生きる理由について。
そして疲れたら休もう。めんどくさくなったらいったん放置だ。生憎俺は楽したいんでね。全部どうでもよくなってくれる方が有り難いが……そうもいかねー生き物だよな、人間って。わかってるよ。
死ぬまでは付き合ってやるし、向き合ってやるよ。
一蓮托生だ。
今日もひとりごと。
「付き合ってやるし、向き合ってやる」か……
君が自分自身じゃなければそんな言葉ノーサンキューだな。
そうしてわたしはまた、他人から逃げるのだった。
お返事がもらえると小瓶主さんはとてもうれしいと思います
小瓶主さんの想いを優しく受け止めてあげてください
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