ひとは、そのひとの主観では、ぜったいに死ねないのではないかと思います。
どれだけ自分の死を願い、行動に移しても、
生と死の瀬戸際で世界は分岐し、
意識は生の側に収束してしまう。
なんど挑戦しても遂げられないのは、そのせい。
でも、それはそのひとの主観世界の話です。
そうした瞬間には同時に、そのひとが死ぬ世界も造られているとも思います。
ボロボロの状態で横たわる身体の横で、
絶望に泣き叫ぶひとの姿を想像してしまうこともあります。
ひとは常に死につづけていて、それでいて且つぜったいに死ねない。そうした確信のなかで生きなければならない。決然と。
うーん、先駆的決意性ってこういうことなんでしょうか。
・・・あと、そんなことを言ってても、
「死にたい」という気持ちが消えることはなさそうです(笑) もう何度か試すかもしれません。