今日悲しい知らせがあった。
同じ学年の友達が、自ら命を絶ってしまったということだった。
先生が報告した名前に、最初ピンとこなかった。
いつもニックネームで呼んでいた子だったから。
びっくりしすぎて何も反応できなかった。
未だに信じられずにいる。
一緒にサークルでテニスしたこともある子。
最近私が幽霊部員だったから、あまり話す機会もなかったけど
その子はマメに行っていたみたい。
何があったのか、なんて誰にも聞けない。
それに、人が自ら命を絶つのに納得できるだけの理由なんかない。
自殺を否定するわけじゃない。
私には「それでも生きてほしかった」なんて言える資格はないから。
そして、
よい子だった、とか とてもそんな風に見えなかった、とか
私にはそんな風に語る資格はない
そこまで深いかかわりを持っていたわけではないから。
事実、今日先生がことを報告するまで、私はその子がいなかったことにも気づいてなかった。
ごめんね。
だけどそれでも
ショックだ。
明日はお通夜、あさってはお葬式。
私は行けるだろうか。
冷たくなったその子の顔を私はどんな思いで見つめるんだろう。
耐えられるかな。
まだ泣いていないだけに怖い。
ああ、まだ信じられない。
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ななしさん
中1女子です。
そりゃ辛いですよね…
僕からは何もその人に出来ないけれど、
今は現実を見るしかないと思います。
思いっきりお葬式で泣いて良いと思いますよ。
僕ならそうしちゃうと思いますもん。
どうかお友達様が安らかに眠れますように…
そして、あなたのお役に立てますように。
ななしさん
悲しい出来事でしたね…
状況をよく知らない第3者ですが、
でも、これだけは言えます。
『あなたが責任を感じる必要は、ないのです。』
死という行動を選択したのは、死んでしまった当人であるお友達です。
どんな理由や事情があるにせよ、
自殺という答えを選んだのです。
その答えを尊重して、黙って受け入れるのも…お友達であるあなたの役目では、ないでしょうか。
もし~してれば、もし~してたら…
挙げればキリがないです。
あなただけではなく、その友達にも言えるのです。
あなたが気が付かなかったのではなく、
そのお友達が、周りに隠していただけかもしれないのです。
今となっては、わからない事も沢山あるでしょう。
本当に、キリが無いのですよ。
あなたはまだ、これから先の長い人生を生きて行かなければなりません。
今はどうか、ゆっくり心を安らげて下さい。
そして、
無理のない程度に、
そのお友達の笑顔や楽しかった出来事を、覚えてあげていたら良いんじゃないかなと…
そんな風に思います。
そのお友達の分まで、幸せと喜び、暖さを味わうつもりで。
ななしさん
わたしは、この現状の中で、
あなたの、その子との距離感に好感を持ちました。
そして、多分、それでいいんだとも思いました。
まいたん
ななしさん
<font color=#ff0000>投稿者さんからお返事きたよ</font><br>小瓶主です。
お通夜・お葬式はその子の故郷でとりおこなわれ、片道2時間かかることや学校との兼ね合いもあり。私は昨日のお通夜のみ出席しました。
会場は葬祭場の小さなホールで、たくさんの人であふれかえって、
焼香の時以外式の様子が見えないくらいでした。
焼香には長い長い列ができて、ご家族の方が深々とお辞儀をしていらっしゃいました。
それがあまりにもいたたまれなくて、たまらなく辛かったです。
でもご家族の心中はこんなもんじゃないだろうな、とも。
式の最後に、棺ごしの対面が叶いました。
私は、祖父を二人亡くしていて、その時の顔はまさに「眠ったように」
という顔でした。そういうようにお化粧などしてくれるんですよね。
でも、その友人の顔を見たときは、なんだか友人にそっくりな人形を見ているようで、なんというかとても痛々しく感じた。
微笑んではいるんです。でもやっぱり、何かが「違う」んだなぁって。
泣いてもいい、とおっしゃってくださった方、ありがとうございます。
悲しみに暮れる人々の様子を見てまず泣いてしまい、
対面してからは涙が止まりませんでした。
私が責任を感じる必要はない と言ってくださった方、
ありがとうございます。学校の先生がその子の死を報告するときにも
同じことを言ってました。
私は、自分に責任があるとは思っていません。
(言い方は悪いのですが、「そこまでは」近しい友人ではなかったのです。)
でもやりきれない思いでいっぱいです。
お通夜には、同世代くらいの人もたくさん来ていました。
ひかえめながらも優しい友人の性格を考えると友達も少なくはなかったと思うのです。
それでも友人はその中の誰をも頼らなかった。もしくは頼れなかった。
責めているわけではまったくありません。
ただ、誰にも頼れなかった大きな苦しみがその友人にのしかかっていたと思うと、どうしようもなく悲しいです。
友人が選んだ死の方法は必ずしも楽に死ねるとは限らないようなものだったということでした。
それを覚悟してでも死を選んだんです。
どれほどの痛み・苦しみを抱え込んでいたんだろう と思っては
胸が痛くなるんです。
確かにまだ、そんなに仲が良かったわけではなかったかもしれない。
でもこれからだったんだよ。
もっと一緒にしゃべって、一緒に卒業したかったなぁ。
残念で、とても寂しいです。
ななしさん
<font color=#ff0000>投稿者さんからお返事きたよ</font><br>小瓶主です。
>まいたんさん
その友人との距離がもっと近ければ思うことももっと違っていたのかもしれません。
責任や後悔を感じたり、「なぜ?」という疑問を追及せずにいられなかったり。
今回の この距離感 は偶然です。
だけど、どんな間柄であれ
ちかしい人が亡くなるというのはさびしいですね。
ななしさん
まいたんです。
わたしのお返事、言いたいことがうまく言えてなかったようなので
再送です。(お返事はいらんぜよ)
小瓶を読んでいてすぐ思ったのは、
よく、ひとが亡くなると、仮に家族や親戚であっても(同級生も)
実際、心理的距離が近くないのに、
なんだかその現場にいる自分、というのに盛り上がっている人というのが
たまにいます。
(葬式で、実際はそんなに悲しいわけではないのに、周りの連鎖反応や、雰囲気で派手に泣くひと)
主さんは、その感じがあまり見えず、悲しみはあっても、
淡々と状況を見てらっしゃったので、「状況との距離感」をちゃんと見てるなぁの意味で書きました。(説明すると長いなぁ)
(わたしはちょっと視点がおかしいのかもしれませんね・・・)
同級生で亡くなった男の子がいました。
交通事故でした。
それこそ、同級生というだけで、あいさつくらいしかしませんでした。
彼は私のことが好きだったらしく、変にはやしたてられたりもありましたが
私はなんとも思っていませんでした。(いまだに)
だけど、それから7年くらい経って、
帰省したとき,偶然、その子の親が経営しているお店を通りがかりました。
商売人とは思えない陰鬱な顔のその子のお母さんが,店番をしていました。
目が合ったとき、なぜかすごい目で睨まれました。(初対面)
陰鬱の理由は、まったく別の理由である可能性が高いですが、
そのとき何となく思ったのは、
自分の子どもの年齢が生きていたら、これくらいの年齢だろうな、に該当する他人を見るたび、
「クソっ」という悔しい気持ちになることもあるのかな?・・
あと,親より子どもが先に死ぬと抜け殻みたいになるひともいるのかも、
と思いました。(オール憶測です)
だけど、私も、主さん同様、彼とは個人的には心理的距離が近くなかったので、死について、そんなふうにぽつりぽつりと考えるまでです。
寿命を全うした死ですら、悲しみは深いのに
自殺や事故など、志半ば(であろう)というのは、残された者に
特に、なにか、自分自身の死も含めた人生観を見つめ直す
宿題を頂いている場を与えてもらっている感はいつもあります。
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