人と喋るのがしんどい。
誰とも話したくない。
私って 知らず知らずのうちにキャラ作ってたんかな?
純粋で 癒し系で……
そう言われるのは嬉しいけど、
それは本当に私ですか?
自分の性格とか キャラがわかんなくて、探したけどなかった。
見つけられなかった。
本当の自分なんて、
どっか行ってしまってた。
元から なかったんかな。
“私”なんて 居なかったんかな。
自分でも わけわからん。
とりあえず、
他人と関わりたくない…
とか言っても、心のどっかで 誰かに助けを求めてる。
待ってるだけじゃ、
誰も助けに来てくれるわけ
ないのにね…。
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ななしさん
心では助けてと叫んでるのに、傷をさわられたくなくて、言葉に出せません。
助けてと思うのに、心に入ってこないでと思ってしまいます。
待ってるだけじゃ誰も助けに来てくれない、とてもわかります。
ななしさん
探し物は探すのを辞めたら
意外と見つかったり
実は目の前にあるのに
違うモノに夢中て見えてなかったり
(おでこにかけてあるのにメガネが無いって探してるような)
本当の自分、
実はそこにもう居るかもしれないよ
自分が何に心地良く感じるか
知っていくだけでも
本当の自分の手掛かりになるかもよ
1年前の私がそうでした
見つけた今は世界が見渡せるようになったよ
ななしさん
そうでもありません。案外助けは想ってもいない所とか人から来るものです。後自分でも真実の自分なんか分からないものですよ。
ななしさん
専門家でもなんでもないので、参考程度に聞いてほしいのですが、
「個性」や「人格」という意味の「パーソナリティー(personality)」は
「仮面」「人に見せるための性格」という意味の「ペルソナ(persona)」から来ているそうです。
どんなに奔放に見える人物でも、人は誰でも多かれ少なかれ「仮面」をかぶっている(=キャラを作っている)と、私は思っています。
自分の性格や、本当の自分なんて、私もわかりません。
いなかったのかも、しれません。
けれども、かぶってきた仮面が集まって、人格と呼ばれるのなら
人に見せてきたこのキャラも、また自分自身なのかな、と思います。
「面白くていじられキャラ」な私も、相手からみれば真実私に違いありませんし。
ひたすら鬱々悩んでいる私も、こうして存在すりかぎり、また私です。
だから私は全部受け入れて、色んな自分がいるのを感じながら、生きています。
それもありかな、と今は思います。
けれどあなたが、その仮面に疲れてしまったなら
他人を拒否したくなるほど、違和感を感じているなら
面をかぶりなおしてみるのも、一つの手かもしれません。
また少し人と距離を置いてみるのも、もう1つ手かもしれません。
一番生きやすい方法を、探してみてはいかがでしょうか?
長ったらしく、小難しい話をしてしまってごめんなさい。
説明下手なので、もしかしたら伝わらなかったかもしれません。
でも、助けてほしいというあなたの声に、こうして応えたいと思う人間がいることを、証明してみたかったのです。
「純粋で癒し系」としたわれるあなたですから、きっと他にも、もっと近いところでも、そんな人たちはいると思いますよ。
ななしさん
そうだね。
嫌われることが怖いのかな?だから壁作っちゃうのかな。
あたしも話したくないと思う、本当は喋る度に気を遣うのが億劫で、しかもしゃべってる間不安ばかり感じてるから。
だからうっとおしくて、ぽつねんて席に座ってる。
ななしさん
私は、そうやって悩んでいるあなたが、あなただと思います。
キャラではなく、キャラをつくるということ自体が、あなたらしいことなのではないですか?
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