矛盾してるかもしれないけど
今の人生は楽しい。
でも疲れる。
疲れてたまに消えちゃいたいなって思うときがある
うーん……、だからやっぱり
そもそも最初から存在しなくても良かったと思うんだ。
別に生まれても生まれなくても同じなら生まれてこない方が良かったなって思う
うまく理由が出てこないけれど
ゲームが楽しいか楽しくないかを感じる以前に、そもそもゲームそのものに対して興味がないというか
生きるのが楽しいか辛いか以前に、そもそも生きる事に興味がない気がする。
昔は辛い事が多かったから自分への言い訳かと思っていて、いつか人生が楽しいと経験できてから言えたら本物だろうと思っていたけど
本物だった。
人生楽しいけど、生まれてこなくて済むのなら生まれてきたくない。
このゲームは楽しいけど、そもそもゲーム自体に興味がないんだ……みたいな
知り合い以上親友未満の友人に誘われて付き合いでいくショッピングやボウリングやカラオケみたいなものですよね。別にいきたかった訳じゃないけど、なあなあでいく事になり、そこそこ楽しめたけど、まあ、疲れますよね......
ところで、反出生主義、と言うものがあるそうです。
主義自体についての説明は割愛させて頂きますが、その主義が支持される理由の一つとして、「生における喜びと苦痛のウェイトの非対称性」にあるそうです。
喜びは無くても別に問題ありませんが、苦しみは無い方が絶対に良い、という非対称性です。
喜びがあり苦しみがない人生、喜びも苦しみも無い人生、喜びも苦しみもある人生、喜びはなく苦しみがある人生... 4パターンに分けられますが、生きたいとしたら喜びがあり苦しみがない人生、ですよね。それ以外なら、生まれてこない方が... となりますよね。
1/4は確かに非対称です。
小瓶主さんは「疲れる」という苦痛から人生というゲームに無理矢理付き合わされる事に飽き飽きされてるのかもしれません。
大丈夫です。少なくとも今生が終われば次はありませんから。二度と誘われる事はありませんよ。
しかし、一度このゲームの盤上に乗ってしまったなら、辛い事、疲れの苦痛を知っているあなたなら、何の策も無くプレイし続け、無為に苦痛を受け続けるのは是非とも避けたい所でしょうし、私としても是非そうして頂きたいです。
(いいや、やっぱり興味がないよと言う事であれば、上記の反出生主義について詳しく調べて頂けると興味も無い人生の無聊の些かの慰めにはなるでしょう。)
上記の反出生主義を支持する理由を否定するのが一番手っ取り早いでしょう。喜びと苦痛のウェイトを調整してやれば良いのです。
喜びは苦痛に勝りしものであり、苦痛は喜びを打ち消すものでは決して無い、とすれば良いのです。
しかし、生命維持の観点からも、苦痛のウェイトが重いのは至極当然の事です。
ですので、せめて普段は喜びの方に意識を向けておきましょう。喜びを見逃さないようにしましょう。辛い時も疲れた時も、喜びを思い出す事に尽力しましょう。打ちひしがれた時にかつての喜びを思い出せないのは、味気なく感じるのは、生物の理屈として当然なのです。生物はすべからく痛がりです。そこに抗ってみてください。
本当の危険信号としての苦痛を除けば、まあまあの苦痛はその実態に対して大袈裟なものであると気づけば、このゲームもちょっとは面倒ではなくなるんじゃないでしょうか。