小学生の頃からずっと自殺願望があった。それは私がただ単に周りと考え方が少し違ったから。
その違いは外からわかるものじゃないから、あまり理解されなかった。でもクラスメイトとは仲が良かったので、心配されたりもした。私はクラスメイトが怖くて仕方がなかったけれど。
私の兄は酷いいじめにあっていた。私は兄のことが好きだったから、それを知った時はすごくショックだった。その頃から、何故か学校に行きたく無くなった。多分きっとそれまでもクラスメイト(というか学校にいる人たち)が怖かったのに、加えて大好きな兄にまでなんでこんなことをされなきゃいけないのか悔しくて悲しくて、何もかも嫌になってしまったんだと思う。
それから小、中と学校にまともに行けた日はなかった。高校は通信制に入った。そして今も、通っている。今は学校で怖いことや辛いことはあまりないが、通うということ自体10年近くしてこなかったことだからなかなか周りの進むペースに追いつけない。
両親はそんな私を大切に思ってくれている。受け入れてくれている。学校すらまともに行けない私を、塾ですらいけない私を、月2回の病院ですらいけない私を、ここまでずっと必死に受け入れて気長に、私が回復するのを待ってくれている。
両親は言った。「あなたたちは大事な大事な宝物なんだよ。」「そんなことで嫌いになるわけない。そんな次元にいない。」
最初学校に行けなくなった私と両親との関係はすごく悪かった。それは仕方がないことだ。両親も、私も、困惑していた。たくさん時間をかけて私を理解しようとしてくれた。愛されているなと感じた。それは紛れもない事実で、誰になんと言われようと揺るがないものだ。
けれど、愛されていると思うたびに私は心が辛くなる。死ねなくなる。
1度小学生の頃に「死にたい」と精神科医越しに伝わってしまったことがある。(私とお医者さんの連携ミス)その日の夜、私は両親と話した。こんなことになるならやっぱり秘密にしておくんだったと後悔した。私は怒られると思った。
でも結果は泣かれてしまった。それは悲劇的な涙では無くて、心から愛していると伝わってくる温かい優しい涙だった。「死にたいほど辛いんだね、死んでほしくないなぁ。」と、泣きながら優しい声で言われた。
ああ、本当にこの人たちは私たちのことが好きなんだな、と思った。
私は自殺を目論む時に必ずその声と涙を思い出す。
ここまで大切に愛情を注いで育ててくれた両親のことを考えると、どうしても死ぬのを躊躇ってしまう。せめて両親のために綺麗な顔で亡くなりたい。ついでに痛みが無い方法が良い。痛いのは大っ嫌いだ。
私は臆病者だ。痛いのは嫌だし、家族も悲しませたくない。私が死ぬ上でこの2つは必ずついてくる。死ななければ痛くないし家族も悲しくならない。ただ、私は生きているのが辛い。わかって欲しいなんて言えない。言いたくない。私だって家族が死にたいだなんて言い出したら泣いて引き留めると思うから。
ここまで読んでくれた人、いるのかな。わからないけれど。どうもありがとう。私はまだ怠惰で生きていくと思う。
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ななしさん
最後までしっかり読んだよ。
よく、ここまで頑張って生きてきてくれたね。本当にありがとう。良かった。あなたが今も生きていてくれて。
あなたには、あなたのことを心の底から大事に大事に思って、温かく育ててくれた、優しいご両親がいてくれて良かった。これからもずっとご両親を大事にしてね。
私も臆病者で、何もできない、惰性で生きてきた役立たずの人間です。なのに、これから私には就職という壁が待っていて、一人で自立しなければならない。一人で生きていかなければいけないの。すごく怖くて怖くて不安でたまらない。こんな人間が働けるところはあるのか、ちゃんと就職できなかったらただの社会のゴミだと。そう思って生きるのが辛くなる毎日です。それでも、あなたが生きていてくれるなら、私も役立たずだけど、もう少し生きてみようと思う。
こちらこそ、ありがとう。
ななしさん
ありがとう
優しい人
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