【前に、こことは違うところで『死にたいと思わない人は日々どんな風に過ごしているのか?』みたいな質問をしたことがあって……】
という小瓶を流したことがあるのですが、その中に「死にたいやつうざい」的なことを書いている人がいたことを記しました。
でもその書き込みは「なぜなら」っていう理由付きだったんですよね。
それで私は、ふむふむそういうことがあってこの人は死にたいっていう人が苦手になっちゃったんだなと思ったの。
で、そのコメントに対して「うざ」ってレスしてる人がいてさ。それは報告してサイト側に削除してもらったんだけど……
なんでもかんでも理由あればいいってわけじゃないよ?でもただ思ったままに感情の爆弾を着火して放られて、それは処理しないわけにはいかないよね……っていうかさ。
書き方にもよるだろうけど、過去のこれこれこういう経験からこういう人はウザいって思っちゃうなあ。というのは「ウザい」って言葉はきつい表現で爆弾かもしれないけど着火はされてないというか。
もっといいたとえありそうだが、今あたまのなかに出てきたのはこれでした。
とまあ、そんなことを思い出したので書いてみました。
短い?ので書き置きしてあるの貼っ付けます。
棘のある物言いだからこそ表現できてること。伝わること。
ってあるよね。
時折まあ、言い方きついなあ……と思う言葉を見聞きしてしまうことはどうしてもあって。
わたし自身が、きつい言い方をしてしまうことももちろんあって。
慣れることはないし、(誰かを傷つける物言いを)使わないでいれる自信もない。
だから、そんな言葉にも良さを見出す方向で考える。自分の気持ちを楽にするために。
そんな言葉に反省したり涙するのも、必要なことだとかなんだとか理由を付けたりして。
とことんつらくなれることって、それもそれで……なんて。
悲しいよね
切ないよね
息苦しい
それでもまだ死ねない
今日もぼくは誰かを不快にさせるし、誰かに不快にさせられる。
お互い共感もするし、しあわせもお裾分けしたりされたりなんかして。
頑張ろう。
これは口だけ。
「お前は頑張ったりなんかしないだろ」「自分は頑張ってない頑張らないくせに人には言うんだね」って頭の中に浮かぶ。
今日もぼくは家でのんべんだらり過ごすだけだ。食って寝て食って寝て……そんな感じ。生物として努められているのかもしれないし、そんなことどうでもいいけど。
人以外に、わざわざ己が努力してるか否かを考える生き物がいるのかを私は知らない。そんな考えをすることは生き物界で異常なら、たまには普通になってもいいだろう。
さっき涙を流しました。
泣きたかったから。
そしてさっき笑顔になりました。
楽しかった、テンションが上ったから。
何があったか?
ただの日常だよ。
1日をふつーに生きる過程になんかそんなのがあっただけ。
そうしていつの間にか死期が目の前に来て
おしまい
ばいばい