褒賞は噓だ。って思うのに
蔑称は本音。って思う心理なんだろうね。
褒め言葉は拒否するのに、貶し言葉は受け入れちゃうあの感じ……
まあ人によるだろうけど。
何を信じるか、なんてもんはさ。
誹謗中傷する人のどれくらいが、それを本気で思ってるんだろうな……って。なんとなくムカついたからてきとーに誹謗しとくかーってことはあるのか。
世辞として、愛想よく振る舞うことはあれど。
わざと皮肉ることは人付き合いをする上でそんなにない。という考えのもとの「悪口は本音だ」だろうか。
そもそもわたしが、良いと思われる言葉を上辺で吐き、あまり良くない言葉を心の内に思っているせいか。
そしてこんなことを書くと「この人は綺麗事で着飾る信用のできぬ人間」と、相手の信じる心を削いでしまうかもしれない。
そうして人を信じられない人間が出てくるのかもしれない。
信じる信じないで言うと【占い】もテーマに絡めて話すと面白いかもしれないとふと思った。
でも今回はこんなもんで、話終わります。
いまあんまり頭働いてないというかこれ以上考えられない考えたくないというか。
では さようなら
またここか、べつの小瓶でお会いしましょう
もしかして「良いと思われる言葉を上辺で吐き、あまり良くない言葉を心の内に思っている」から「褒賞は噓だ。蔑称は本音」なのか?
こう思っているから、褒めることが余計に減って行く?
仮にそうだとするなら、一日一回、本気で褒めることもしてみたら?口に出さなくてもいいからさ。
「悪口は本音」止まりの思考でもいいだろうけど、“悪口は扉だ”と思ってその先を考えるのもおもしろいと思う。
扉を開けてみたら、結局は自分の体調不良だったり、忙しすぎてアドレナリンを欲しているだけだったり、自分の経験不測だったり。悪口を言うまでもなく、相手の振る舞いが良くないだけだったり。
相手の振る舞いなら、偽善も善も見分けがつかないから、どっちでもいいや。