先が見えないこんな悲しい人生なら終わってくれ、誰か終わらせてくれと思うことはある。
ただ、楽に死にたいだけなのかもしれないな。
殺傷事件のニュースは怖いと思った。
被害にあった子どもたちの「痛い、痛い」という声が聞こえたという、目撃者の証言。
殺されるのは痛いことなのか、それは嫌だなあと。
どうして死にたくて死ねない人がいて、死にたくないのに死んでしまう人がいるのか。
本当に私たちが救われる日は人類誰一人いなくなったその日だろうな
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ななしさん
そのお気持ちわかります。
ユリイ・カノンさんの「誰かの心臓になれたなら」にもあるように死にたい僕は今日も息をしてって。
自殺する人も多いけど、死にたいけど死ねない人って自殺する人より多いと思います。
「どうして死にたくて死ねない人がいて、死にたくないのに死んでしまう人がいるのか」「本当に私たちが救われる日は人類誰一人いなくなったその日」自分もよくそう思います。
どうせ死ぬなら自分でいいのにと。
しかし死ぬのも楽じゃないです。(と、生きている自分が言ってもあまり説得力ないかもですが…)
そして、どんな死に方だったとしても、死んだことがわかったり、遺体が発見されたりしたら、残された者はそこからそれなりに色々考えるものです。
そんなかんじで自分なりに考えた結果、毎日辛いけど、天寿をまっとうするまで生きてた方が実は楽なんじゃないかな、と…
なんだかんだで死んでないってことは、自分が生きてることでなんかしらの世界のバランスがとれてるのかな、と、ぼんやり思うようにしています。(能天気な結論ですみません…)
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