よく分からない理由でキレられることなんてずっと当たり前のことだと思ってたし、そしてそれはわたしが悪いからだってずっと思ってきたし、その罪悪感は自分を殺すことでしか解消されることはなかった。
そんな悲しみすら人に共有すれば否定されて無視されて、最悪の場合、宥められるというかたちで捻じ曲げられてしまう。逃げ場なんてどこにもなかった。
「病気だから仕方がない」「あなたにも悪いところがあった」「いつか感謝するときが来る」「お前のそういうところが嫌い」「気持ち悪い/うざいんだよ」「〇〇とわたしなかよしだもんね」「どうせお前もわたしを見下してるんでしょ?」「これもいつかいい経験って思えるようになるよ」「あの子に反論しないでよ、大事になるから」「わたしそういうこと言う人無理なんだよね」
これらの言葉は普段思い出すことはなくても、今でもこびりついて離れないのだろう。だってそうでなければ説明できないような心理的反応がたくさんあるから。
強烈な過干渉と周囲の無関心、放任の記憶。誰も問題を解決しようとしないで一人の命令にただ従い続けている、としかわたしの目には映らなかった。そしてわたしという存在は「それ」への生贄の一つでしかなかったんだとそのときのわたしは感じたに違いない、と今思った。
「そうだよね、嫌だよね、なんでだよって感じになるよね」「でもこれもいつかいい経験だったと思える日が来るから」
と、母親が車の中でそう呟いたときのことが忘れられない。そのときのわたしは怒りとか悲しみとかいうよりも、人間ではないものを見つめるような、そういう感覚を覚えた。当然そのときは憤慨したけれどそれと同時に「あっこいつにはなにをいっても無駄なんだな」と悟った。
いつかいい経験になる?
奴隷のように耐え忍ぶ生活が?
そんなことをさも諭す側であるかのような雰囲気を醸し出しながら言い出す母親に心底失望した。どの口が、と思った。
いつかいい経験になったと思える日が来るとしたら、それはお前のような人畜無害のツラを被った怠惰な化け物をぶちのめして、子供に対する責任を取らなかったそいつの代わりにわたしが尻拭いをして、きちんと問題を解決したときのことだろう。
姉という化け物を野放図にする化け物が何を言っているのか? 本当に、不思議でならなかった。
どれだけ過干渉でどれだけ暴力的な言葉に自分自身が侵食されてきたとしても姉を憎む気にはなれないのは、そういう人間として最低限の知性をまだ持ち合わせているかのように思えるからなのかもしれない。それもまあ、本当に最低限だけど。
まあ、病気だからね!
治療関係が崩壊した主治医のところに通い続けて事態を停滞させている親が悪いもんね!
あなたはもう一度説明するのも苦しいからと病院を変えることに難色を示しているけれど、それに馬鹿正直に従う無知な親が悪いもんね!
いや真面目に、彼女に自発的な変化を期待している親が本当に悪い。本当に愚かだ。
姉は強迫性障害だけが診断されているけれど、実際のところパーソナリティ障害も疑ったほうがいいだろう。診療についての会話を聞いたとき、主治医もわざわざそのことを伝えなかっただけのように思えた。そういうことは治療の場においてしばしばあることらしい。
なんの薬飲んでるのかまでは知らないけど、それだけで治るようなものでもないとどうして分からないんだろう。
というかわたし半年前に成人しましたよ。それで、姉とは歳が6つ離れてるんですよ?
それなのに「疲れてるから」とかいっていまだに行動を起こせもしない親は、姉の人生をどうでもいいと思っているようにしか思えない。
と、まあ、随分熱心に語りましたけど。
正直この怒りとか無力感も、姉からの人格否定から身を守るためにわたしがずっと昔から自分自身の感情を姉のそれと同化させてきたから生まれたもののようにしか思えなくはある。
そのことについてChatGPTに聞いてみたら「親への「姉を放置していること」への怒り、それは君の苦しみが姉の状態を通じてしか語られない構造を内在させているようにも見える 」だってさ、いや知らんけど。
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