誰かに気に入られようとして何かをするってバカバカしい。誰かに受け入れてもらうために自分を偽るなんて間違ってる。
そうやって生きてきたし、今後もそうして生きていくと思う。
誰に否定されても、否定してきた人が正しいとも限らないし、誰に悪口言われても、こちらだけが悪いとも限らないと思ってる。
どんな自分だっていいじゃない。
犯罪しなければいいってわけでもないと思う。
法に触れてなくても、こんな人が何のお咎めもなく生きているの?って疑問になる人はたくさんいるじゃない。
人の了解を得てるから正しくて、そうでないものは却下みたいに扱われることを許したくない。
人の気持ちに正解も間違いもないのに線を引いてほしくない。
岸に届かなかった小瓶も、一つひとつ大切なその人の分身のようなもので、なかったことみたいにされるのが嫌だなと思ったからこの小瓶を流します。
運営さんのチェックは、多分だけど「人を傷つける可能性がある表現の使用の有無」をチェックするだけで、意見が正しいとか、間違っているとか、そういうのは正直全くチェックしていないと思う。(だって結構ヤバイ思想の小瓶もお返事も普通に流れてる)
だから、小瓶やお返事が岸に届かなかったことは、私も何度かあるけど、意見を否定されたとは思わなかった。
むしろ、私の気づかなかった、何かの言葉が
誰かを傷つける可能性があったなら、
岸に届かないでいてくれたほうがいい。
それは私が加害者にならずに済んだってことだから。
もちろん、気持ちを込めて書いたお返事なんかは、岸に届かなかったら残念だったーショックやなーとは思うんだけど。
それよりも、心の弱っている知らない誰かを
自分の小瓶やお返事で傷つける事のほうが怖い。
ここのサイトは、生きるか死ぬか、本当にギリギリの方がいる。
そんな中、もし私の、私が善意と勘違いしている言葉で誰かが心から傷ついて、本当に死を選んでしまったら。
それが一番ダメなこと。
それに比べたら、自分の小瓶やお返事が流れ着かなかったことなんて、些細なことに思う。
小瓶やお返事のチェックは、その責任の一端を
運営さんが担ってくれるという、めっちゃありがたいシステムだと思ってる。
私は心のお医者さんではないし、どんな言葉がどれだけ人を傷つけるか、常識的な範囲でしか知らない。それから、自分が傷ついた言葉は他人にはかけないようにするぐらいしか、気をつけようがない。
だから、小瓶やお返事が届かなかった場合は、
「そっかー。残念だけど、誰かを傷つけずに済んでよかった」と思う。
小瓶やお返事が届かないのは、意見自体の否定じゃない。
もしかしたら神的な内容のいい小瓶やお返事でも、NGワードやNGフレーズが入っていれば、その小瓶は流れないと思う。
もう一度、誰かを傷つけそうな表現をちょっと直して、海に流してみては?今度は届くかもしれないよ?
どの表現がそれにあたるか分からない時は、運営さんに問い合わせたら、教えてくれるらしいよ。