お久しぶりです。
今日は,最近の愚痴?を書きます。
最近,父親にクズと言われました。
それは自覚していたのですが,人に言われると強く実感するというか再認識?しました。
自分の父は,すごく酒癖が悪いんですよ。
酒癖という言葉の使い方が合っているか分からないんですが,要はお酒を飲むと人が変わります。
正確には人が変わるというより悪いところが強く出るという感じです。
小学校低学年までは特に意識しなかったのですが,
その時は父の仕事が夜遅くに帰ってくるもので朝ごはんは一緒に食べれるけど寝る時間まで帰って来なくて,お酒を飲むところを見ることが少なかったからだと思います。
母親も父の酒癖の悪さをよくため息混じりに話していたのですが,母が小学校三年生の頃出ていきまして。
自分の中で父親と母親はそこまで大事な存在では無くて。
初めてその気持ちを意識したのは6歳のときかな…?
自分の覚えてる中での一番幼い記憶が保育園のときでその頃には周りの人間に特別な感情を持っていなくて。
今でもおかしいと思っています。
でもあのときは自分は,違う人の人生を生きてるんだみたいな,この人(自分)に憐憫の念を向けていて。
今でも自分を別の視点で見て生きている様に感じるときも合って,何度も何度もこの人は不憫だなと思っていました。
話は逸れてしまいましたが,
小さいときは父は所謂親バカ,母はすごく怖かった印象です。
すごく短気な人でした。自分もそれが遺伝したのかすごく小さなことでイライラしてしまう人でそれに気づいたときに自分は,あの人の子供なんだと自覚する瞬間になっていました。
父は,母が出ていってから母の悪口ばかり言うようになりました。
母が出ていって一年は,謎の喪失感から定期的に父を通して会う約束を取り付け会っていました。
今思えば小学生の中での離婚はふつうじゃないと思ってしまうところがあったのでどうにか前に戻れないかと思っていたのでしょう。
離婚したときには父は違う会社に勤めていて,
夜は普通の時間に帰ってくるのですが会社の鍵を開ける為一番最初に出社する係?になったらしく6時半には家を出ていました。
その時,家には自分と一つ下の弟,当時高校生の兄の三人だけで自分も寂しかったのかもしれません。
離婚した次の年,詳しく言えば同じ学年のとき。
突然の頭痛で救急車に乗って子ども病院に行きました。
その日から合計一週間入院しました。
それから体調が悪く学校に行けない日が続きました。
春休みと挟み行けるようになったものの,小学校5年生のときにまた不登校。
その後,クラスの子とのトラブルもあり学校に行かなくなりました。
そして6年生になり病院の先生の紹介で転院。
家から少し遠い大学病院に通うことになりました。
大学病院はドキドキの連続で実を言うと通うのは楽しかったです。
院内がすごくきれいでペッパーくんみたいなロボットがエスカレーターの下にいていつか話しかけようと思っていました。そのロボットは話す機会が無いままいつの間にかいなくなっていました。
ジュースの自販機がカップで出てくるものが合って美味しいココアとか人生で初めてカフェモカに出会ったのもその病院でした。
その病院の心身症外来に通うようになって学校に,行けてないので入院して院内学校に,通いませんか?というお話をもらいました。
自分は勉強しないとなとは思っていたのですが怠惰な性格なので一人で家にいると一日中テレビを見てるだけだったり。
なので入院して学校に行くことになりました。
でも,同じ部屋になった中学生のお見舞いの人が自分のカーテンの中に突然入ってきて。
正直,それだけ?と呆れる方もいるかもしれませんが人とのトラブルもあり学校以前に同年代や人自体が苦手になっていた自分の中でそれはすごく怖い出来事で。
その後はトイレに籠もってその人たちが帰るのを待っていたのですが夜ご飯の時間になっても帰らなくて,
その後共有スペースみたいな病棟の廊下にある漫画とかがおいてるスペースで泣いてるところを看護師さんに発見されて,父と先生に事情を話してすごく頼み込んで
退院しました。土曜日に入院して日曜日に帰ったので一回も院内学校に通うことは無かったです。
一ヶ月後くらいに同じ階のおじいちゃんおばあちゃんが入院してる側の部屋に入ってそれからは院内学校に,通ってそれなりに楽しく入院生活をしていました。
話を遡りすぎたのでもとに戻りますが,この一回帰った事とか怠惰な性格とかが父はあまり気に食わないみたいで。
お酒が入るとよく罵詈雑言が自分に振りかかってきます。
怒りのあまり壁に穴が空いたり,テレビのリモコンが飛んできたこともあります。
酒が入ると寝てしまうのですが廊下で寝たり突然起きてトイレと言ってベランダに行ったり。
そのまま落ちろよとか思いながら,そっちじゃないよと先導?したり。
本当に面倒くさい。お前自分のこと棚に上げてと思われるかもしれませんが本当に親なのかと疑うこともしばしば。血縁のことではなく人間として大人として。
リスカとかやめろとか死ぬな系の人なんですけど,子供がテーブル挟んで向かいで泣いてるのに腹かきながら足で体を蹴って寝てる人を見るとすごくイライラします。
小学校の卒業式の前日,病院で出ていた薬を大量に飲んで病院に運ばれました。
すごく頭が痛かったこと血圧が168まで上がったこと
救急車の中でようやく死ねると思いながら大好きな人達に別れを心の中で思っていました。
もちろん,身近な人は一人もいません。
その世界が幸せで昔は保健室の先生とか学校の先生の中でも敬愛する方がいました。
でも,一度先生に死にたいと言ったときそれが崩れてしまって。
この人もただの人間だなと思ってしまいました。
いわば父親たちと一緒。
今の自分の憧れは生身の人間3割その他7割ぐらいで。
大人に失望してしまってから大人になりたくないと何度も思っていました。
だから,二十歳までに死のうと思っていたのですが,
お酒とかタバコとか大人になったからこそできる自由を体験してみたいとかこんな人間ですが将来の夢があるので意志弱いな早く死ねよとか思うかも知れませんが
30歳までに死ぬということにしました。
そうすることで少し楽になるかなと。
大きい子供しかいない社会になんの期待もしていないですが,同じ思いを持った学生の人たちが世界を変えてくれるんじゃないかと他力本願な望みを少しで大人を生きようと思いました。
先生に関しての望みはありません。
学校を出て,先生になるために学校に行って,先生になって学校に戻ってくるから社会を知らない大人ができる。
昔,誰かが言ってましたが本当だなと思いました。
漫画や小説に出てくる大人は美化されすぎてるなとつくづく思います。
後,十数年の人生ですがそれなりに謳歌して
一番納得できる死に方をします。
色々候補はあるんですが一度しかない瞬間。
すごく良いものにしたいなと思っています。
これを考えると心が落ち着く気がするのでおすすめです。
ここまで読んでくれてありがとうございました。
話の脱線,拙い文章ですがどうでしたでしょうか?
学生の戯言でしたが読んでくれた方の暇つぶしになっていれば幸いです。
それでは
1月23日