おはようございます。いつもありがとうございます。
今日は午後から、無料のことカウンセリングを受けるため、仕事を休みました。家事をしたり、写経をしたりして過ごしています。
「人生において幸不幸は同じ量である」とは姑の受け売りですが、私は心のなかでそんなわけあるかい(私は超マイナススタートだし、どーせ不幸のほうが多いよ)と思っていました。
が、もしかしたらそうなのかもしれないなあと思い始めています。金銭のあるなし、美醜、肩書はもちろん、人は外面だけでは、幸せなのか不幸なのかわかるわけもありません。
この年になると、そいつがどう生きてきたか、特に人生平坦なときではなく、ピンチであったり調子の良いときにどう生きてきたか。それらの中間決算がこの年代(40.50代)で出るなあと思っているのです。
若い人たちの手本となれるのかなれないのか。
若い人たちから新しい知識を学んで行く姿勢を持っているのか持っていないのか。
生きれば生きるほど人間が腐っていく奴。
そいつ等は結局不幸だなと思います。人から本当に信頼されていないのです。自分がされた嫌なことを人にします。そして、自分がどういう行動をしているのか省みることないのです。他人を蔑むのに一生懸命。
自分が輝いている演出をし、他人の劣等感を刺激するような演出をします。(40歳50歳にもなって、未だにそういう事するやつはそういうことするのです。)
いいですか、所詮そいつ等の「演出」なのです。そいつ等の「いじめ劇場の登場人物」になってやる必要はありませんよ。
困難をバネにして一歩一歩あがって来た奴。
彼ら彼女らは幸不幸にこだわらず、一生懸命己を生き、結果的に輝いています。黙っていても人柄を信頼してもらえるし、「人徳」があります。ただ、上述の「不幸な人」から足を引っ張られるというデメリットはよくあります。
「不幸」を文字通り「不幸」と捉えるのか、また違う解釈で捉えるのか、そのところも後者は違うなあと尊敬します。
よく言われることですが、それらは顔つき、表情に、やはり如実に現れているなあと私も感じています。(私も少し?ほうれい線やたるみが気になるお年頃ですが、いい表情してると言われるように頑張ります)