人から必要とされる人になりたい。
家族とは別の人から必要とされたいの。
これは欲張りかな。
あの人の気持ちが知りたい。会いたい。話がしたい。
だって、信じてるから。色々思うこともあるけど、結局いつも最後は信じてる。
もう誰からも裏切られたくない。私は何事も上手く出来ないけど、大切にしたいと思ってるの。だから信じてるし、信じてたの。不器用だけど、一生懸命で、愚痴を言うことはあるけど。でも、気付くと周りには誰もいなくなってる。裏切られたって思う。
私が上手く出来ないことが、上手く出来てないうちにみんなは私が裏切ったって思うのかな。だから離れていくのかな。
違うのに、どうしたら大切を伝えて守れるの?
必要とされたい=愛されたいかな
こう思ってしまうのは、贅沢ですか?大きな幸せなのですか?
大きな富や名声なんかいらない
不便な田舎暮らしで、お給料もそんなに多くなくていいから、毎日納豆ご飯でも充分だから。そんな小さな幸せでいいの。そのなかで必要とされて、家族と過ごせて、あの人もいて欲しいと思うの。
「必要とされる=愛されたい」
これが偽りない弥佳さんの気持ちであったり、思うのであれば間違いはないと思います。
散々人から必要とされはした。使うだけ使い、使い終わる、利用価値がないと思われた?で裏切られの繰り返し、その他でも人の汚い面をいっぱい見てしまった・いやでも知ってしまった自分には…人を信じる事すら難しく…まぁ、自分汚い面はあると思う
裏切られても「結局最後は信じてる」という弥佳さんは「凄いなぁ」と思うけど
「承認欲求や愛着心が強いのか?」とも思う
弥佳さんがいう「毎日納豆ご飯でも充分。そんな小さな幸せでも良い」…
こんな今の自分は
人から必要とされるよりも毎日納豆ご飯を食べるのが大きな幸せに感じると思います。
納豆が好きだからかな…