毒家庭育ちの子供の頃から鬱傾向、重い貧血体質、元緘黙症でいじめられっ子体質。我ながら打たれ強く我慢強い。そんな私でも、寝たきりになる程病んだのは、3回位。
楽団にいたとき、育児をしながら飛び込み営業の仕事をしていたとき、そして、近所の小さな会社に、努めていたとき。
そこは、「家族経営」「アットホームな職場です」「未経験者でも1から丁寧に教えます」と、書いてありました。
どうです、胡散臭いでしょう。
私は世間知らずだったとしか言いようがありません。それに、その職場の技術に興味があり、習得したかったのです。自転車で5分くらいのそこに入ってしまいました。
当然、教えてもらえません。見本を渡され、これと同じに作れ、と言われました。失敗したらその製品は終わり、やり直しができません。その場所は私一人だっのですが、何度も失敗し怒られ、失敗したら、給料から差っ引くぞと脅され、仕事はどんどん増えて、でも残業はするな。試用期間がすぎても、約束されていた給料は上がりませんでした。
その職場には、最初に言ってしまうと、監視カメラがありました。サボっていないか、喋っていないか。
一人のおばさんが、仕事中、若社長の悪口を言いました、私に同意を求めました。確かに私も、若社長が悪いと思ったので、その事を言ったら、「あのね、ここには盗聴器があるのよ」と、得意気に言いました。あ!やられた!と思いましたが時既に遅し。悪口を言わされた…。
私より一ヶ月先に入ったおばさんが、ボスのおばさんに嫌われ、どんどんいじめられていきました。当然、他のみんなもそれに倣ってそのおばさんを嫌いました。お菓子外しも当然やる連中でした。いじめはどんどんエスカレート。そのおばさんは、ある日、旦那さんと一緒に
乗り込んで来て、辞めていきました。
大社長は引退し、若社長は、ベテランのおばさん達に頭が上がらず、言いなりでした。
想像通りかと思いますが、次のいじめのターゲットは、私になりました。
休憩室の私の荷物を机から落とされていたり、休憩室に私が行くとあからさまに向こうへ行ってコソコソしたり、二人くらいでやってきて、仕事について遅いだとか何だとか怒鳴られたり、書ききれない位でした。
でも我慢して、一生懸命仕事をしました。
私はどんどん弱っていき、食べられない、風呂に入れない、寝たら明日が来てしまうから寝ることが恐怖、という状態でした。
若社長に窮状を訴えました。そしてこのままなら辞めざるを得ないことも伝えました。
若社長は怒鳴りました。「今までもそうやって辞めてきたのか!!」「この繁忙期に何を言ってるんだ!!」
私は、「責任もあるので、もう少し頑張ります。」と答えました。
もう今すぐ消えたい。消えたい。
何故か涙が勝手に溢れています。悲しくなくても、言葉を発するたびに涙が滲むのです。またこの状態だ。
◯のうとばかり思っていました。
やっと心療内科にいきました。どうやって行ったのか、良くわかりません。即診断書が出ました。今すぐ休職せねばならないと言われました。
そこから、何日も何日も、嗚咽が止まりませんでした。再びあの職場に連絡を取ることが恐怖で恐怖でたまらないのです。
私は、卑怯かもしれませんが、主人に辞めることを伝えてもらいました。逃げるように辞めました。
毎日毎日泣きながら自分を、責めていました。
もう連絡を取りたくないので、雇用保険のやり取りなども、傷病手当金のやり取りなども、しませんでした。できなかったのです。
………
おととい、数年ぶりに若社長に遭遇してしまいました。
近所なので、遭遇してしまったのです。
普通に話しかけてきました。
私は頓珍漢な事を言ってすぐ逃げました。
「話しかける前に、そちらから言わなければならないことが、あるでしょう?」
「私は、あれ以来ずっと療養しています。普通の身体ではなくなったのです。」
と、言えたら。私が強かったら。喧嘩くらいできたら。
読んでくださって、ありがとう。
医療機関からの診断もあり、そこまで追い詰められた方が、家族を代理人にたてて退職しても、卑怯でもないし、何ら責められる謂れはないと思います。
小瓶主さんの場合は、それ以前に職場のことを社長にまで相談しており、それを怒鳴り飛ばして職務を強要するような態度をとった雇用主(社長)のほうに、落ち度があるとしか思えません。
あなたが当時、強い人間だったしても、一人で太刀打ちできる場合とそうでない場合があります。
繰り返される嫌がらせで蓄積された圧力に抗することは難しいです。
会社という集団の恐ろしさはそこにあります。
もうずっと前に退職なさった会社ですし、近所の会社ということ以外に、接点を持つ義理はありません。
不愉快な過去の感情が、あなたを苦しめるだけなら、できるだけ捨ててしまってください。
あまりご自分を責めないでくださいね。