先週に始業式があって、また明日から学校に通わなきゃいけない。行きたくないなって、思います。
人と接する機会が夏休みより増えるってことはこの痛みが、苦しみが、もっと増えるってこと。
耐えられるのかな…、私。
また人に遠慮して、視線を気にして、相手を気遣って、出来ない自分に嫌気が差して、また自己嫌悪して、。
こうやって生きているのに私の口調のせいで、相手を気遣ってるなんてきっと皆からは思われてないと思う。
もっと可愛げがあれば、皆に好かれるいい子になれたのかな。もちろん、今だって嫌われてるわけではないし、嫌われて不自由をしていることなんて無い。
でも、やっぱり気づいて欲しい自分がいて。
見え張って相手に自分の隠したい気持ちを悟らせないようにしてるくせに、ホントは気づいてもらいたくて。だからもっと素直に話そう、って思う。
でも結局、今まで積み上げてきた『私』という性格や印象が、それを許してくれなくて。
拒んでるものが、ホントは欲しくて。でも好きなものをそのまま好きって言えない自分がいる。
そのせいだってわかってるけど、本当の私と、親の思ってる私が全違って、なんて言えばいいんだろう…正しく理解してもらえなくて悲しいのかな。
それとも寂しい?それとも怒ってるのかな。それとも全部?
結局わかんない。
本人がわからないんだから考えても仕方ないんだけど。
でも、どうしようない程苦しくて、痛かった。だけどこれに関しては親に罪はない。かと言って、私に罪があるかって言われるとそうではない気がして。
でも、苦しくて痛くて、どうしようもなくて、誰かを責めなきゃ耐えられなくて、結局いつも通りの自己嫌悪。全て都合のいいように自分のせいにして、自分は駄目だって決めつけて、それで苦しんでるくせに結局はやめられない。
そんな自分に嫌気がさす。でもそれはいつものことで。死にたいのもいつものこと。自己嫌悪することだっていつものこと。自分が大嫌いだって思うのだっていつものこと。
そうやって、私は今も生きてる。
毎日死にたくて、苦しくて、辛い。未来を生きてる想像なんてできなくて、かといって死ぬ想像もできなくて、そんな中途半端な状態で、なんとなく生きてる。
学校に行きたくないって話から、大分話が逸れちゃったけど私は今日もこの監獄みたいな世界で家族のために生きてる。
死にたいって思ってる人はこの世にごまんといると思うけど、結局実行に移せてないのは私みたいに誰かを悲しませたくないから?それとも死ぬのが怖いから?それとも、もう死ぬ気力さえも無い人だっていると思う。
こんな私の話で誰かが救われるなんて、傲慢なことは思ってないし、私の苦しみなんて誰かが抱えてる痛みよりきっと何十倍もマシだと思う。
でも、誰かがこれを読んで共感してくれて、苦しみながらも一緒に生きて、いつか生きたいって思うほどの希望を見つけられたらいいね、って強く思います。