『認知行動療法の本やいろんな事を調べていたときに、「辛くなりやすい考え方」というのが関係している。というようなことが書いてありました。
人は、落ち込んだり自信を失くしたり否定されたりすると、考え方が悪いほうにしか向かなくなり、どんどん自分を責めたり周りが怖くなったりするそうです。』
ここでの「人」とは、「無垢な子供」を指すのかもしれません。
これは「〇〇をして、成功した」「〇〇をして、失敗した」のどちらもない状態をいいます。
成功体験のある人物は、いくら否定されても成功する未来が描けれるので否定して来た人物を意見の合わない人だと避けることが出来ます。
では、成功体験のないチャレンジしていない自分が悪いのか?
それは違います。
「無垢な子供」はなんでも試したいのです。
失敗してもチャレンジして成功確率を上げていき、いずれは必ず成功します。
私は両親や周りの雰囲気から、少しだけ脱することが出来ました。
それは植松努さんという方の言葉がキッカケでした。
「ダメだ。無理だ。と言う人はやった事がない人なんです。」
やった事がないというのは、大きな括りでは同じものでもアプローチの方法を変えれば「やった事がない」ことになります。
それを「同じことだ。無理だ」と言う人がいる。
やった事がある人は必ずアドバイスが出来ます。
『でもそれすらも、もしかしたら、強烈な思い込みではないだろうかと、言えなくもないのかなと、ふと思いました。
要するに、自分で頑張れない言い訳にしたり、勝手に「こうなのだから」と、決めつけて自分で勝手に道をふさいでいるだけなのか…。
本当に、私は現実が見えているのか?
勝手に辛くなりやすい考えに陥って苦しんでるだけなんだろうか?
思い込みで深みにはまっているだけなのか?』
行動に移すハードルをかなり高くさせられているように感じました。
小瓶主さんは想像の中で完結して、行動に移せないことがあるのではないでしょうか?
「考えて行動しろ。」
「行動する前に、よく考えろ。」
そんな言葉に縛られてはいないでしょうか?
「考えて」とは、経験したことのない未知のことを想像(創造)しろと言っているわけではありません。
自身で想像したことが現実と全く同じ結果になるのだとすれば、人智を超えた神とでも言いましょう。
「考えて」とは、過去に似た経験があればそれを組み合わせて準備や覚悟をもって取り組むということです。
過去に上手くいかなかったことから、今回は対策をしたり、経験がなければ予備実験をするなど。
失敗したとしてもカバーする方法を確認しておくなどです。
「考えて」とは成功確率を上げる行動を増やすことで、実際に行う物事を細かくシミュレーションするとは別と考えた方がいいかもしれません。
前から歩いてくる人の行動を察知して避けるのと似ていて、右か左か真っ直ぐか予想は出来ても、実際にどう動くかやってみないとわからない。
だから、相手の目線を確認する、速度を落とす、先に右に行く、立ち止まって譲るなど準備や対策をするのだと思います。
そこで「何故、左に避けなかった?!」と怒鳴る人がいたとします。
左に避けなかった自分がおかしいでしょうか?
その相手が必ず同じ方向に避ける人なら、次から合わせてあげれば良いですし、その道に左に避けるルールがあれば次からそうすれば良いだけです。
わからないことを「何の経験もなく理解し、行動に移せ」は神になれと言っているようですよね。
私の好きな3つの言葉があります。
「賢者は歴史に学び、愚者は体験で学ぶ」
「神はサイコロを振らない」
「失敗に価値がある。その条件で成功しない事がわかったのだから。」
最初から賢者の人はいません。
体験しないとわからないのです。
全てが同じ条件なら結果は同じになる。
ならば、少しでも条件が変われば必ず違う結果になる。
失敗とは、成功確率を上げる大変貴重なデータです。
失敗していないと成功していたことも少し条件が変わっただけで、成功しなくなります。
失敗したことがない人は、挑戦したことがない人とも言われます。
危ういですよね。
苦しんでおられるのでしたら、今まさに挑戦されているのだと私は思います。
皆、一律に成長するものではありません。
いつどう成長してもいいと思います。
私も大人になって、小学生が出来ているようなタメ口をきくが出来るようになり始めました。
その方が仲間になりやすいみたいです。
世界は何も変わらなくても、小瓶主さんが世界をどうみたいかが少し変化して、気持ちが楽になることを心から祈っています。
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