楽しさに酔っている。
気のいい後輩や友達との会話に酔っている自分がいる。まともに認めてもらえることに甘えている自分がいる。
生まれてこなければよかったとか、死にたいとか、そういうことを考えないで済むことに安心する。でも、それは一時的なもので解決策にはならない。
タバコや酒と同じようなものだ。一時的に不安なことを忘れているだけだから、いずれぶり返してくるとはわかっている。
この時間がずっと続けばいいと思ってしまうのは甘えだ。
今の発言を否定してほしいと思うのも多分甘えだ。
誰かに認められたい。そういう風に考えるのは認められていないからだろうと考えている自分も、それを誰かに否定してもらって本当は認められているよと言われたい自分もいる。
多分わかりやすい形で存在を肯定されたいだけなのだろう。誰かが隣で笑っていてくれる。わかりやすく恋愛にそれを求められるほど容姿が優れているわけではないし、素質もない。
この小瓶でこれを読む人に自分のことを知ってほしいと思っている自分がいる。精神病のことや、今まで抱えてきた問題を語りたいと思っている自分もいる。
それを繰り返してきて、なにもよくならなかった。
カウンセラーの人は、結果はすぐには出てこないと言っていたけれど、それとは別の問題のはずだ。
自殺するのも甘えかもしれない。ますます自分がわからなくなる。自分は本当に解決を望んでいるのだろうか。
自分が死ねばもう苦しむことはないと考えることは子供のころから多かった。環境が悪くなったりよくなったり、友達が増えたり減ったりしたけれど、その思考だけが消えずに残っているような気がする。だったらその希望を完遂するのが正しい気もする。カウンセラーのいうことに反するし、何人か裏切ることになるけれど、それが問題を解決する上では正しいような気もする。
結局自分は自分のことしか考えていない。他人のために生きるのが多分社会一般では正しいはずだ。自分は自分勝手だ。そのくせ他人に認められようとしているから苦しいのかもしれない。
よくわからない。考えるのも疲れた。少しでも寝る