昔から嫌いな日がある。その日が近づいている。
私の周囲は喜ぶ。でも私は落ち込む。
ケーキの灯火も気づけば闇に消えゆく。
火を消した後に流れる敗れた私の人生を
表すような白く流動的な白線。
火が消えていく様はまるで私の自信が
少しずつ失われていくかのようだ。
私は誕生日が嫌いだ。
祝われる理由がわからない。
何故私が生まれた日を祝われなければ
いけないのだろうか。
誕生日の周辺は大概不幸が連鎖する。
体調を崩す、可愛がっていたペットが急死、
5回それぞれ違う異性に告白して
5回失敗しその5回は誕生月中で
あった話など。
それらが原因で気分が落ち込むのか
毎年ケーキは不味く感じる。
甘い、でもゲロ甘で甘ったるくて美味しくない。
成績不振、食欲不振、人間不信。
ガリガリで異性は間違いなく寄り付かない。
同性さえ寄り付かない。
3つの ふしん を持つ私は人間的に底辺だ。
あとは不審な人の特徴を身につければ
ふしん としての私は完成だ。
少なくとも私はそう考えている。
そんな私には誕生日を祝われる資格はない。
そんなことはないと言う人がいる。
資格はないって誰が決めるのと問う人がいる。
そういう奴に一言突きつけた。
「私の心中はあなたがわかるものではないでしょ。
私がそう思うならそうなんだよ。」
私が嫌嫌嫌と言ってるんだよ!?
本当にやめて?ねぇ聞いてるの?
本当にやめてって言ってるでしょ!?
そう言っても無理やり祝おうとする大人たちって
一体何者なの?やめてよ、嘘じゃないから。
有難迷惑だよ。自身がクズで使えない
愚鈍な存在のまま何も進化せず
大人の階段をただ意味もなく登っただけ。
祝うほどの価値はないよ。
それをわかっていないなんてみんなバカだなぁ。
大人って経験を積んだ人間だと豪語しながら実際は
何も人生をわかっていないバカばっかなのだろうか。