昔から僕は熱意も無く、夢もなく、能力も無く、人並みの努力ができず、対人関係を築けないと散々であり、それこそ幼稚園、小学校低学年頃から自分が社会に馴染めないと言う不安を抱えてきた。そう言った強迫観念と、年相応の夢もあるにはあったが、僕は何も成し遂げられなかった。何もだ。自分の中でそれは自明なことであるから、能力のない僕は何ら価値を持っていないということで、さっさと死ぬべきだったのだ。しかし死ぬことすらできなかった。こんな調子なのに、現世への未練だか自殺失敗への不安からなのか、できなかった。今でも情けなく思っている。昔から死んでしまいたかったのだ。いじめられたり、叱られたり、人として当たり前の事が出来なかったりで、死ぬべきだったのだ。その時点で。死んでしまえば悩みも何も起きないというのに。社会に順応できない人間であるから、生きる価値と言うのは何も無いと言えよう。人間は生きているだけで価値があるとは言われているがそれは嘘であって、それは、生きてるだけで価値があると言っている人が価値を勝手に見出しているというだけの話であるわけだ。僕は、生まれた時から社会から切り離されたも同然であったわけで、さっさと死ぬべきだったのだ。だって死んでしまえば、あらゆるしがらみや感情から開放されるのだから。