私が生まれてきた意味は、
たしかにあるのかもしれないと思った。
人は誰かと比べることで、
自分の優劣を決める。
それなら、私は誰かを優にさせるための劣という存在なんだと思う。
そういう存在は、たしかに必要。
こうやって納得することで、
私はやっと生きていられる。
人を羨ましいと思って過ごす毎日。
聞こえてくる会話に、いちいち傷つく。
叶わない神頼みにすがる。
それでも変わるかもしれないと期待しては、現実に失望する。
それの繰返し。
みんな幸せそうでいいな。
諦めて受け入れること以外に、
私にできることはあったかな?
これが精一杯納得できる理由。
仕方ないんだ。
誰も助けてくれないんだから。
自分で動いていいことなんてなかったでしょ?
変わらないんだって。
少しでも傷つかずに生きていく方法を探そう。
ひとりぼっちに慣れていこう。
私の望みは叶わない。
信じることをやめよう。
疲れるだけじゃない。
もう、結構、疲れたよね。
他人と比べるための自分ではなくて、あなたの持ってるものを大事にすることが、あなたの生きる意味です。
それは誰であっても、です。
あなたはあなたのために生きることができる。
あなたが欲しいのは優かもしれない。
けど、優を手に入れてる人は劣も感じなければならない。
優を手に入れた時はその時気持ち良いかもしれないけど、それはずっと塩水で喉を潤そうとしているようなものなんだ。
それでは心が疲れてしまう。
揺るがない誇りを持つとあなたは途端に心が安らかになるでしょう。
誰にだって長所と短所がある。
でもそれは人間が勝手に決めてるだけで、それはただ一つの性質を得とするか損とするかで見てしまってるだけなんだよ。
あなたが何で優劣を感じてるかはわからないけれど、もっと他の見方をしたら長所であることもあるんだ。
逆に短所である場合もある。
でもその性質はあなたを足らしめるものであって、誇れるものなんだ。
ダメダメな自分でも、嫌いなものばっか持ってる自分でも、いつかそんな自分を好きだと思える、そんな日が来たらもう大丈夫です。
少し心が疲れて願うことを止めてしまってもいい。
今は休んでゆっくり美味しいものでも食べたり。
あなたには素敵なものがあるから。
それを信じてみてください。
あなたは、しばらく人と自分とを比べた方がいい。そして、そんなことを嫌という程繰り返す。あなたがすべきなのは、そういうことである。
人間は、経験によってしか学べない動物である。自分が経験してはじめて、自分が人と自分とを比べることが如何に愚かなことかわかる。それを身をもって知ることが、あなたが今すべきことである。そしてはじめて、あなたは自分を知り自分の人生を生きることができる。
神に祈るときは、心を清くして、毎日の心掛けを大事にしなくてはいけない。神は祈っているあなたを見ればだいたいわかるから、普段の心掛けや行いがよくなかったり礼節を重んじなければ、あなたの願いは聞き入れられないかもしれない。もっとも、神の領域でないという場合もあるが。神は罪や穢れを嫌う。神と言ってもここで言っているのは日本の神である。
とりあえず、そんなことを書いておく。神仏に祈るとして、外に祈る対象がなければ、千手観音に祈ることをすすめる。