この小瓶は、私に関しては、
小瓶主の自虐とも読めるし、
他者を責めている解釈とも読める。
後者の色が強く感じたので、その前提で書きます。
真逆だったらごめんなさい。
知らない間に、信じていたからこそ
反対側を邁進してると思いこんでいた自分に
ある日気づいて愕然とすることはあります。
それくらい、信じるということは
計算してやっていることではないことです。
社会から煙たがられる人間?
バカじゃないの?
本当に信じているからこそ、落ちていっても
墜ちていっても、となりにいるに決まってんじゃん。
私は、親にもよく言うよ。
あなたが、もし万引きでも、犯罪者になっても
変わらずいるからねって。
人は魔が差すも含めて人だし。
出来事自体はよくないことだけど
どうしてそうしなきゃいけないくらい、
気持ちがやつれてしまったのか、
そっちの方が何より気になるってね。
ドブの水をただ、バカみたいに飲み続けているわけじゃない。
墜ちたり落ちたりしているから、
わかることはたくさんあるんだよ。
見返りだとか、言ってる時点で
したり顔でもの言うなって私は思う。
どんだけ与えてもらいたいんだよ。
どんだけ、他人に必要とされるでしか
物事を測れないんだよ。
「満たせる能力」なんて、自分で満たせないやつが言うことだ。
それこそ、何様なんだよ?
なんだかんだ言って、ギブアンドテイク以外は
なんも信じてないってことじゃん。
それのどこが「人間を信じている状態」かよ。
見返りなんて考えることなく
ただ注ぎたいから注いでいるものだって
人間にはあるんだよ。
この世にはあるんだよ。
それわかんないなら、あなたは愛を知らない人だ。
美辞麗句でまとめてみても
全部透けて見えるんだよ。
私は、ギブアンドテイクでしか、人を信じて来なかったから
ずっと、人間がすきだった。
誰のこともすぐ信じるから、友達もすぐ出来た。
同じような人ばかりだったけどね。
だけど、自分の知らない「やさしい」は
みんな、持っている。
自分では、きっと一生ピンとこない部分。
そっちで生きようとしている、そんなもがき。
あなたから見たら私のような人間は、
何も持ち合わせていない、ジャッジの対象にもならないと思うけど
ギリギリのところで私は、いつも
ボロボロのときほど、自分をなめていないし
自分のその時点での、ほんとの顔が見える。
私は、自分のことがすき。
もっと、それが日常になるように、伸ばしてやりたい。
その延長線上に他人はいる。
信じる、も、本来そこにあると思う。
信じるに、掛け値なんかない。
長文失礼します。