高校生の若造ですが…
私の勝手な意見かもしれませんが…
その考え方は、間違っていないのでは無いのではないでしょうか?
私も、同じようなことを考えたことがあります。親切にするのは相手の為でなく、自分の為ではないか、と。
感謝されたいから親切にしているんじゃないか、と。
でも、自分はそれでもいいんじゃないかと思うんです。
そもそも親切って、利他的なことじゃないですか。それが相手にとってありがた迷惑だったらちょっと違う問題ですけど、それが受け容れられた上で感謝されるなら、いいじゃないですか。
優しくするってことで大事なのは、行為そのものだと思うんです。相手にとって有難いと思われれば、動機は関係ないんじゃないですか?
高校生の未熟な道徳観と言われればそれまでなんですけどね…
失礼いたしました。
まずはそんな自分を受け入れてみたらどうでしょうか。
今の自分を否定せずに今の自分に丸をつけます。
そうすればまず今の現状に対しての苛立ち又は辛さから回避できます。
それからこれから自分の性格とどのように付き合っていくかということですが、
受け入れることができたなら自分を客観的にみてみるのはどうでしょうか。
自分の行動、言葉はどのような根本的な部分から発せられているのかを考えます。
例えばなぜあなたは人から優しいねと言われたいのか、なぜ優しくすれば得だと思ったのか、なぜ偽善者という言葉に嫌悪感を感じるのかです。
自分を受け入れたうえで客観的にみることで目の前の問題の後ろに隠れている本当の問題に辿り着けるのかもしれません。
物事に選択肢を持たせることで、気持ちが楽になるのではないでしょうか。