芸人の〇〇さんが△△歳で死去。
通り魔に襲われ△△歳の女性が死亡。
??市××中学校の生徒が自宅で首吊り自殺。
⬜︎⬜︎年間行方不明だった〇〇ちゃんの死体が発見。
そんなニュースを見た人は口を揃えてこう言う。
若いのに残念、物騒だわ、嫌だね、可哀想に。
そして、慣れた手付きでチャンネルを変える。
なぜこのようなことを言うのか。
それは、自分がその立場だったら嫌だから。
若い内に死ぬ、通り魔に会う、自殺する、誘拐されて殺される。
皆、自分が大好きだから。
人の命、秋の葉のように散っていくことを知ってなお、それが大事だから。
でもそれは個人の意見であり、当事者の気持ちではない。
寿命や病気、事故などは難しい話だが、自殺なんかは特にそうだとわたしは感じる。
死にたくて死んだのだから、嫌だねなんて言われても良い気分にはならない。
わたしだったら成仏もできない気がする。
神様は不平等だなんて言う。
確かにそうだなと思うこともある。
でも神という存在は所詮重めのツンデレに過ぎず、なんやかんや言って優しい部分はある。
人間に平等に死という存在を分け与えてくれているから。
生や死がバラバラだったら、世界は混沌に包まれてもっと早く無くなっていただろう。
死ねるだけありがたいのかもしれない。
誰かが言った。
命って限りがあるから光るんだよ。
その通りだとわたしは思う。
あんなゴミみたいな人間ですら美しく見える。
命って一種の魔法のようだ。
限りがあるから、亡くなった時に、あの人って凄かったよねと語り継がれていく。
死んだ人はただすっと死んだのではない。
様々なものを置いて旅立って行くのだ。
それは嬉しいものかもしれないし、悲しいものかもしれない。
ただ、そう遠くない未来で役に立つのは言うまでもないだろう。
わたしは、10年後20年後にわたしという人物がいたよね、と語り継がれていくのであれば。
わたしという存在が、貴方の記憶の片隅にでも置いてくれるのであれば。
それだけで十分かもしれない。
結局何が言いたいのか。
それは自分でもよくわからない。
書きたいことをひたすら並べていったから、要約することができないのが本当に申し訳ない。
ここまでつらつらと並べてきたが、これはわたしの個人の意見であって、全員が全員このような考えを持っているわけではないことを理解して欲しい。
長くなってしまったが。ここまで読んでくれて本当にありがとう。
この小瓶がきっかけで、貴方が命に興味を持ってくれれば、わたしはそれ以上望むことはない。
次出会うのはいつになるかはわからないが、また出会えることを心待ちにしている。
それでは、さようなら。