「駄目な自分を受け入れよう」「弱い自分を認めよう」
自信がない人に対して簡単に言うけど、それが出来たら今こうして吐き出してないんだよね。
受け入れて認めた所でそれは単なる気休めで、駄目で弱い自分は何一つ変わってないし、そもそも駄目で弱くちゃ社会に受け入れて何て貰えないよ。だって社会は「普通」や「当たり前」が大好きだしさ。
出来ない自分が何より嫌い――――本当は私は出来ない自分のままでも良いけど、それだと社会に入れないから。
人に迷惑かけてる自分が心底嫌い――――迷惑をかけてかけられだと分かってはいるけど。
嫌われるのは別に良い――――コミュニケーションに支障を来すから面倒だから嫌われたくない。
まだ近くにいるんだからどうか名前を出さないで――――内容が解らないとどうとでも勝手に解釈出来るから。
頭の中で常に自問自答。
中途半端な社会性が現実を見せてくる。
駄目な自分がありのままの自分じゃ駄目ですか。
駄目ですよね、知ってますよ。
「出来ない。無理。苦手」って言うんじゃなくて「難しいけど頑張ってみます」って言うのが正解何ですよね。
発言に心がついてこないのは、私が怠け者だからですよね。駄目な人間だからですよね。
こう言うネガティブを少しでも吐き出すと大体「そんな事ないよ」が返って来ます。そんな事あるんですよ、だって今がそうなんですから。現に私がそうなんですから。
「そんな事ないよ」欲しさに吐き出しているんじゃないのに、優しい人は大体「そんな事ないよ」と言ってくれます。
ありがとう、嬉しい、でも気をつかわせてしまったって思うから、次回以降極力吐き出さないようにしますね。
極力「そんな事ないよ」泥棒にならないようにします。
頑張っているんです。
頑張っているはずです。
そのはず何です。
たとえ結果が伴っていなくても、頑張っているつもり何です。
そう思っているのは、一番誰よりも何よりも駄目で弱い自分に期待してるのは、私何ですけどね。