今日は、いつもお世話になり、有難うございます。
被害者遺族の方々が、愛する家族(特にお子様方)を事件や、事故で亡くされた時、犯人に対して激しい怒りを表明され、またご家族を奪われた事への非常な悲しみを表わされている記事、
またある芸能人の方が、ご自身の幼いお嬢様を交通事故で亡くされた時、この上ない悲しみと絶望を露わにされているという記事を拝見した時、私は非常に驚き、また衝撃を受けた。
自分の子どもを事件や事故で失った時、こんなに悲嘆し、怒りを表明する方々が、この世にはいらっしゃるのかと。
私の両親は、私が子供の頃に変な人に声をかけられ、誘拐されるかも知れない目にあった時も、また青年期の頃カルト団体に巻き込まれて苦しい思いをしていた時も、また30代の頃ストーカー事件に巻き込まれた時も、
被害にあった、また危険な目にあった私を責め、詰るばかりで、「辛かっただろうね、酷い目にあったね、怪我はないか」などと心配したり、寄り添うなんてことはなかった。
母親は、メロドラマのヒロインぶりっ子をして自己陶酔状態になり、現実的解決につながらないポーズをとることが多く、私はどんどん内心が冷めて行った。
父親は正論で、紋切り型の事を言って、私を「論破」しようとしてくるが、それは私を一層反発させ、心の壁を余計に分厚くさせるだけだった。
何故上記のようなケースが発生してしまったのかというと、それは両親の共感能力が低いから、という事に気付いてしまった。
(それが精神障害からくる特性なのか、元々の性格とか、人格とか、人間性から来るのかは分からないけれど)
たとえ凶悪事件とか凄惨な事故に巻き込まれて私が死んだとしても、彼らはそれらの事をさらっと水に流して、顔色一つ変えないで、何事も無かったかのように日常を送ると思う。
私の両親は、地域の農業関係の活動、神社や寺院の奉仕活動、自治会関連、婦人会関連の活動などで、重要な役職を次々に勤めていたが、私から見ると(何か、どこかおかしいな)と思うことが少なくなかった。
その一つが、上記で書かせて頂いた「共感能力の低さ」だった。
こんな両親から生まれてしまった自分は、もう普通の正常な人間でない事が確実なので、せめて世間様、他人様にご迷惑をおかけせずに、一生を終えたいと思う。
ここまで読んで下さり、有難うございました。