先日、初めて小瓶を流しました。
頂いたお返事があまりに的確で、良い意味で意表をつかれ、また同時に自分の問題点を再確認しました。
私は今でこそ、友人や同僚などの家の外の人達と適切な距離を保ち、上手くやっているほうだと自負しています。
しかし、同僚はともかく大好きな友人達に対しても「上手くやっている」という言葉が出てきてしまうほどには心を開いていないのも事実です。
大人になればなるほど、皆、そんなものだと思っていました。
けれど、本当にそうだろうか。
最近、そのように頭をもたげることがあります。
10代の頃は、自分の身勝手な言動と相手への依存で失敗しました。
20代の頃は、どうしたらより細く長く確実なものになるかの模索期間となり、去った人もいましたが、今につながる大切な友人達を得ることもできました。
今は、綻びが出ないように慎重にその関係を維持する期間のように思います。
そして上手く行けば行くほど、それがとても息苦しいのです。
友人達と遊びに出かけても、何かが自分の言動を監視しているようで気が抜けないですし、変な言い方ですが自分の中のコンプライアンスフィルターのようなもので、発する前の言葉をチェックしている感覚です。
体力に自信はある方ですが、遊びに行っただけである意味仕事よりもへとへとになります。
私の祖母は、私同様に気難しい人でした。
その気難しさ故に、更年期の際には今までの友人関係の一切を捨て、自身の健康や家の衛生状態ばかりに囚われるようになったようです。
それも一つの選択だと思います。
けれど、わたしは友人達が好きですし、祖母のように割り切って我が道を行くほどの勇気はありません。
近年は疲労が溜まると、夢で皆に嫌われる夢を見ます。
夢の中で10代に戻った私は、自分の言動のせいで孤立し、最後はすべてを滅茶苦茶にして終わらせてしまうという辛い夢です。
上手くやることに重きを置きすぎて、本質をおざなりにしてきた結果が現れているのだと思いました。
改めて気持ちを自分で文章にしてみると、
結局は自分の心ばかり大切にしているようで嫌気がさします。
友人関係は相互努力で成り立っているのだから、自分ばかり心を砕いていると思うのは傲慢だとわかっています。
表面上は好かれているのだから、みんなから嫌われていた10代の自分よりは良いじゃないかと思います。
でも気を抜けば、あっという間にあの頃の自分に戻ってしまう気がして怖いです。
もしかしたらいっそ戻って楽になりたい、とすら考えているのではないか。
どれだけ年をとっても、又、どれだけ改めて も、自分の心の中から身勝手な悪意が消えることはないのなら、きっといつか本当にすべてを壊してしまいそうで不安です。