母が亡くなって1ヶ月半が過ぎた。
四十九日の法要も恙無く終えて、もう完全に社会に戻らないといけない。
学校に行ったり、バイトに行ったり、買い物をしたり、人に会ったり、私の時間はまだお母さんの遺体を初めて目にした時で止まっているのに、やらなきゃいけないことは尽きない。
実家から帰ってきて、1人暮らしている部屋で蹲っている時はなんともないのに、外へ出たりバイト中だったり、ふとした瞬間に泣いてしまいそうになる……し、実際泣いてしまうこともある。
まだ誰かにバレたことは無いと思うけれど。
この悲しみは誰かに話して解決するようなことじゃないし、下手に友達なんかに話しても相手に負担がかかるだけで何も変わらない。
それなら1人で抱えてる方がずっと良いのかなと思って、何とか体を動かしてみたけれど、今もバイト帰りに駅のトイレに引きこもって泣いている。
この悲しみは自分でどうにか折り合いをつけていくしかないのは分かっているけど、誰かにこの胸の苦しさを知って欲しくて、こんな文章を書いてしまった。
お父さんとかお母さんの兄弟とか、私より長く時間を重ねた人の方が悲しいはずなのに、それでもみんな頑張ってるのに、なんで何も頑張れていない私は今日もこんなに泣いているのかな。
友達と会う時とか推しを見てる時はまるでこの悲しさをすっかり忘れているみたいにあんなに楽しそうなのに、突然悲劇のヒロインであるかのように泣き出す自分が分からない。
そもそもこの涙って何に対するものなのかな。
お母さんが居なくなった自分が可哀想で泣いてるんじゃないかな。
この涙にお母さんを悼む気持ちはあるのかな。
自分可愛さに塗れて今日もしょうもないまま生きる自分が嫌になる。
151747通目の宛名のないメール
小瓶主の返事あり
お返事が届いています
名前のない小瓶
(小瓶主)
主です。
お二方の温かいお返事、とても有難かったです。
今もまだ不意に悲しくて涙が出ることもありますが、この1年この2つのお返事に励まされて何とかやって来ることができました。
これから先、生きるほど母の居ない年月の方が多くなっていくことやこれから待ち受けるライフステージに母の姿が無いことに果てしなさを感じてしまうこともありますが、どうにか楽しく過ごしていけたらいいなあと思います。
もう1年も経ってしまいましたし、お二方がこのメッセージを見ることがあるかは分かりませんが、お礼申し上げたくこのようなメッセージを書いています。
この度は本当にありがとうございました。
ななしさん
君は優しいよ十分。大切な人を失った悲しみは失った人でしか分からないから。でも、あなたはその悲しみで泣いている自分を責めているんだと思う。でも、貴方も僕みたいに綺麗事は好きじゃないかも知れないけど…。それでも、貴方は人を思いやっている。めっちゃ優しいやん。頑張れ!優しい君に届いてくれると嬉しい(^^)
ななしさん
学生さんでしょうか。
お母さんが居なくなってしまった
悲しみ、痛みの中で
時が止まっているように
感じられること、
ふとした瞬間に涙が溢れてくること、
その戸惑いが伝わってきます。
亡くなられて1ヶ月半、
悲しみ、痛みが強いのは当然です。
ましてお母さん。
生まれる前から
ずっとずっとそばにいた人です。
喪失の大きさは計りしれません。
もっと言えば、
どんな関係性の人であっても、
どれだけ時が経ったのかも、
悲しみや痛みの度合いとは
比例しませんね。
それは一人ひとり、
比べようもない、
比べる必要もない、
あなただけのものだからです。
人には愛のニーズがあります。
愛したい、そして愛されたい。
自分が愛したい人であり、
自分を愛してほしい人を
失ったのですから、
相手を悼む気持ちと同時に
自分自身を悼む気持ちが湧くのは、
ごく自然なこと。
むしろ、
自分のために泣くことができること、
自分が可愛いと思えることは、
とても大切なことだと感じます。
あなたはあなたのまま、
今のままで大丈夫。
哀しみに暮れる日々は
あなた自身をケアするために
必要な、そして重要なプロセスです。
グリーフケアというものがあります。
おうちでゆっくり過ごされている時に、
ご興味が湧いたら、
検索されてみると、
色々な情報が出てくるかと思います。
〝大事な何か〟を失って、
痛みの中にある人のケアを表します。
その時から、
時が止まってしまったかのように
感じられることも、
突然、ふとした瞬間に
涙があふれてしまうことも、
とても自然なことです。
体に起こる反応は、
全てあなたに今、必要なことです。
体が傷を負ったら、
誰に教わらなくても、
体は自然と、
血小板を集めて出血を防いだり、
白血球が細菌から体を守ろうとしたり、
しますよね。
体は生きるために必要なことを
もう既に知っています。
あなたのこころは
喪失によって
目に見えない深い傷を負っています。
癒されるためのケアが必要です。
癒されるための時間が必要です。
そして、
癒されることは忘れることでは
ありません。
悲しみ、痛みは消えることは
ないかもしれません。
その代わりに、
これは私自身の話ですが、
年齢を重ねるにつれて、
少しずつ、
悲しみや痛みと
共に生きることが
できるようになってきたと
感じます。
大切なものは
全て失われたのではなく、
私自身の中にも宿っていると
感じられるように
なってきた気がします。
「いのちの木」という絵本も
オススメします。
どうぞお身体を大切にお過ごしください。
以下はまだお返事がない小瓶です。
お返事をしていただけると小瓶主さんはとてもうれしいと思います。