私の場合、気持ちがしんどい時は、何をやっても駄目。
そのモヤモヤを誰かに聞いてほしくて、小瓶を流そうと思うのだけど…
それさえ、上手く言葉に出来ず…
書いては、消し…
消しては、書き……
一息入れ様としたら、「ありゃ?」
書いたものが、消えてしまってる。宛メには、保存機能がないのですなぁ。
アナログおじさんは、そうやってあたふたしながら、小瓶を流してます。
パニック障害、軽度の鬱に苦しむこと6年。
どうにか自力で押さえつけ、それでも浮き沈みに悩まされながらの2年。
振り替えれば、あっという間の8年です。
ようやく、沈む期間が短くなり、やれやれ…。
先日、話を聞いてくれるという、素敵な古本屋を訪れ、精神科などには行かずとも、ここがあるではないかと兆しが見えたようです。
マスターの愛読書を自分も読み、イベントにも極力参加して、あらゆる面で深めてみようと思い、『フーテン』(永島慎二 ちくま文庫)に次いで、『くるい きちがい考』(なだいなだ ちくま文庫)を読み始めたのですが、まだまだ万全ではない心では…、ちとキツかった。
ならば、無理はしない。
なかなか進まない本を閉じ、『続・一日一生』(天台宗大阿闍梨 酒井雄哉 朝日新書)を開いたら、すいすいと阿闍梨の言葉が私に入ってきます。
辛かった今日の自分は、今日でおしまい。
明日は新しい自分が生まれていて、新しい一日を生きる。
心配事は山ほどあるけど、なるようにしかならない。
しんどい一日を生き抜いた自分に、「よくやった」とほめて、また明日。
自分なりの解釈で、酒井阿闍梨の言葉を受けとめてはいますが、そんな簡単にいけば苦労はしません。
相変わらず、浮き沈みを繰り返す日々。…でも、沈んでも、前より少しは深さが違っているのは確か。