父が自殺して3日が経った。
父が亡くなる直前まで、僕は彼のことを嫌い、憎いと思っていました。
すぐに怒るし、酒飲みでタバコ臭くて、色んな事を人のせいにし、自分を大きく見せようとして他人を貶す最低な人間。
そう決め付け、彼の悪い部分だけを見つめ続けていました。
酒に酔って帰ってきて、トイレもまともに出来ない奴、人の気持ちを考えない奴、恥ずかしい、憎い。
ずっと心の中で父を弱い人間だと攻め、こんな奴と関わりたくないと彼を避け続けていた。
そんな彼が亡くなる数ヶ月前に珍しく弱みを見せた時も、僕はただかまって欲しくて病気のフリをしてるだけ、なんて本気で思って彼に何もしてやらなかった。
普段の父に戻ったと思ったら、ほらやっぱりだ。と、父の考えなんてわかる。と心の底から思い込んでしまいました。
僕は本当に愚かで傲慢で自己中心的人間です。
父が僕の気持ちを理解してくれなかったように、僕もまた父の気持ちをまったく理解していませんでした。
なのに全部わかってると思いこんでいた。
父が亡くなっても後悔なんかしないと思っていたのに、
実際は全てが思った通りにはならなかった。
母から父が飛び降りたと電話を受けたとき、僕は呆然とし、全身の震えが止まりませんでした。
親父そんなに思い詰めていたのかよと、俺は何もわかっていなかったと自分を責めました。
しかし、そんな時でも何もかも自分の都合の良いように考えて、でも救急車の中で意識はあったらしいから多分死にはしないだろう、父に会ったら今までの事を謝ろう、その機会はあるはず、と思っていたんです。
病院に着いた時、先生から全力を尽くしたが出血が多くて手の施しようがないと言われ、僕は初めて父はこれから死ぬんだと思いました。
母いわく病院に着いたときにはもう心肺が停止していたそうです。
その時の僕は何をしたら良いのかわからず、何かできることはないかと考えても何もできず、これから最後の手術をすると言った先生をただふわふわとした気持ちで待つしかありませんでした。
数時間後、部屋に呼ばれ何かの装置でチューブをたくさんに繋がれて呼吸している父を見たとき、僕は泣きました。
ごめん、本当ごめん、俺のせいや、とただ謝り続け、泣き続けました。
そしてこの時に初めて、自分の心の内に父に対する愛情があることを発見し、自覚したのです。
顔が腫れ上がって、髪も途中まで中途半端に剃られ、髭も中途半端に生え、耳や鼻から血を流し、醜い姿になった父がとても愛おしく、可愛らしく思えました。
僕は人間に対して潔癖の気があったのですが、この時はまったく抵抗を感じませんでした。
手を握った時についた父の血液すら愛おしく、父の顔にキスをしてやりたくなりました。
父の顔にぺたぺたと触りながら、今まで本当にありがとう、大好き、愛してると感謝の言葉が自然に出てきました。
結局のところ、僕は父が大好きだったようです。
なのに、僕の気持ちをわかってくれない、察してくれない、尊重してくれない、そんな我儘が憎い、嫌いという気持ちに変わって、僕に反発心を呼び起こしていたように思います。
父は頑固で、僕も頑固で、お互いに相手の気持ちを理解していませんでした。
でもお互いに愛していたという点では、一致していたようです。
葬儀の後におばあちゃんは父がよく僕の様子を気にかけていたと言っていました。
幼少期からヤンチャで悪戯が好きで頭が良くて、なんでも出来て飽き性で、目立つことが好きだった。
僕の知らない父の一面をおばあちゃんや父の弟さんから知るたびにポロポロと涙が溢れ、愛おしく感じました。
なのに最後に父が弱みを見せたことの意味に気付けなかったことは、僕の犯した生涯最大の罪であり後悔です。
父の手帳を見るとアルコール依存症に悩んでいたようでした。
酒を抜くと手が震え、酒を入れないと働けない。
なのに周囲からはお酒を控えているか、と聞かれるばかり。
父は人の目を避けるようにこっそり酒を飲み、一人ぼっちになっていました。
彼の気持ちを考えると僕は堪らなく辛くて痛い。
僕は彼の気持ちを何も理解しないまま、ただ酒飲みで恥ずかしい人、弱い人だと心の中で責めていたのです。
父はこんな状態でも欠かさず朝早くに起きて、仕事に出ていました。
本当はとても強くて偉大な人でした。
それ比べたら僕は本当に弱くて無神経な人間だ。
今まで本当にごめんなさい。
そしてありがとうございました。
110568通目の宛名のないメール
小瓶主の返事あり
お返事が届いています
ななしさん
あなたの小瓶を読んで泣いてしまいました。
あなたは素晴らしい方ですよ、お父様も誇りに思っていますよきっと!
お父様があなたを愛していたことに気づいてくれたってだけでも本当に嬉しいと思います。
私も親の立場ですが死後であろうと愛していたんだ大切に思っていたんだと我が子が気づいてくれたらそれ以上の幸せはない気がします。我が子に愛されていないと思われる程苦しいものはないですから…
色々な事に気づけるあなたに育ってくれたこと誇りに思っていますよお父様は。
自分を責めないでと仰っていると思います。
名前のない小瓶
(小瓶主)
小瓶を流して頂いてありがとうございます。
父が亡くなって数日経ちましたが僕の心もかなり穏やかになりました。
あなたを含め周囲のみなさんの温かいお言葉のおかげです。
僕は父の姿を見て人間の暗い影ばかりを追っていましたが、父の同僚や知り合いが父のために祈りを捧げてくださるのを見て、人との繋がりとか、優しさというのは本当に良いものだなぁと感じる事ができました。
今までずっと父を憎いと思って生きてきましたから、最後に全て雪解けして終われたことがなによりです。
これから母や兄弟を支え、いずれは家族を作って父の気持ちというのはどんなのであったのかを知れたらなと思います。
これは余談なのですが、最後の最後に父が給与から5万円を抜いて競馬代に当てていたことが発覚してみんなで笑いながら怒っていました。笑
名前のない小瓶
私のような者が軽々しく書いてはいけないと思いつつ、書かずにはいられませんでした。
母親をアルコール依存症で亡くした者です。
もう15年経ちますが未だに母親を許せない気持ち、後悔の念などあります。
ただ最近は一人の人間として母親を見ることが出来るようになり、許せない気持ちや自責の念も和らいで来ました。
アルコール依存症は病気だと言われます。
本人が悪いのでははなく、病気がそうさせるのだと。
アルコール依存症になりやすい人は、繊細で真面目で完璧主義の人が多いそうです。
あなたのお父様はきっと家族や仕事にこれ以上迷惑をかけないため、自ら死を選ばれたのかもしれません。
あなたが、お父様が救急車で運ばれるときに、楽天的に考えたのは人としての本能がそうさせたのでしょう。
あなたの心が壊れないように体が一生懸命あなたを守ってくれたのだと思います。
ご自分を責めないでくださいね。
お母様や、おばあさま方と悲しみを癒していくことが出来れば‥
「この世の地獄を見たければアルコール依存症の家族を見ればいい」
そう言われることもあります。
お父様だけでなく、あなたやご家族も辛い中生きて来られたと思います。
本当に言葉には出来ない感情でいっぱいだと思います。
お父様がなくなったのは誰のせいでもありません。
短い人生の中で子供時代を謳歌しお母様と出会いあなたを愛したのです。
私は母親に対してそう思うようにしています。
私も葛藤しながら15年生きてきました。
もうすぐ、母親の年を追い越します。
分かりにくい文章ですみません。
私はあなたの側に寄り添いたい。
気持ちだけは側に‥。
もう一度言わせてください。
あまりご自分を責めないでくださいね。
以下はまだお返事がない小瓶です。
お返事をしていただけると小瓶主さんはとてもうれしいと思います。