LINEスタンプ 宛メとは?

これは毒だ。この小瓶に詰めるのは、人によってはかなり辛い毒だ。俺が言えた事じゃないが、自他の区切りが付けられる人以外には、あまり読んで欲しくない

カテゴリ
これは毒だ。

この小瓶に詰めるのは、人によってはかなり辛い毒だ。
だから、今小瓶を書こうとしている俺が言えた事じゃないが、自他の区切りが付けられる人以外には、あまり読んで欲しくない。

人の事は人の事だと。自分の事は自分の事だと。
…正直、そう切り分けられる人にとっても、毒である事に違いはないだろう。
寧ろ、切り分けられるからこその辛さもある。

だから、もし誰かの目に付く事があるのなら、もし内容をよく読む事になるのであれば、それを覚悟で目を通して欲しい。

引き返すなら今の内だと、俺自身に対しても思う。

俺としても、出来れば書きたくなかった。
書かないように、詳しく知られないように、ただ抱え込むつもりだった。

だが、誰かに打ち明けるよう、誰かに懺悔するよう、誰かに質問するよう、ただ吐き出さねば、苦しみは募るばかりだった。
少しでも明らかにしなければ、自分の思いも解らないままだった。

俺自身に対しての事だ。他の誰に対して思う訳ではないが。
毒になる、それだけの事と思っているからこそ、ある程度の答えが出るまで表へ出さないでおこうとも考えたが。


人に関わる。誰かに何かを言う。
誰かを助けようとする。

俺はただ、そんな自分自身がおこがましくてしょうがなかった。

人それぞれが違う人生を生き、自分の歩き方で歩き、良くも悪くも真に孤独を持っている。
生まれた時から使命など、持っている筈がないとは考えている事から、誰かの運命を捻じ曲げるなどとは思わないが、「誰かに影響できる」などと思う自分がおこがましくてしょうがなかった。
そして、事実として影響があるように感じる事も、虚しくてしょうがなかった。

動機はなんだっただろう。
自分に価値が欲しかったからか。自分に居場所が欲しかったからか。
自分だからこそ何か知っている事があるんじゃないかと、何か自分でも出来る事はあるんじゃないかと、誰かを救いたかったからか。
自分自身の事が心底憎くて、ただ重りを、枷を付けているつもりになっていたか。
思い付くその全てだろうか。今そこには、虚が広がる。

人との関わりをどう思うものなのだろう。

深く関われば関わる程、影響し合う事になる。
人それぞれだとは解っていても、人の先を案じずにはいられない。

それでも、人と距離を置きたい。深く関わり過ぎたくない。
要は、言ってしまえば自分の都合の良い事だけをしたいんだろう。
人の先を案じているのに、その後はほったらかしだ。

だから、人自身の意思を尊重したかったし、俺自身が誰かの主体にはなりたくなかった。
当人が考えて、手の届く中、選択して、自身の人生を歩いて行くのだから。あなた自身に力があるのだという事を。

都合よく、怠惰の理由にしているだけなのかもしれん。
本当に思っているとは思うが、俺自身の事が、自分で信用ならない。怠惰の理由付けを実際している部分もあるのだろう。

誰かを助けたい、そう思う気持ちが、おこがましさによって抑えられる。そのおこがましさを抑える。
自分を否定し続ける。

大した事はないのだ。
ただ、少し悲観的に書くのが上手いだけで。

ただ、少し、そんな自分に飽き飽きしてきているだけで。

意思の統一もなく、行動や理念の研磨もなく、ただ混沌に惑うばかりで。

一方的だからこそ、生まれる苦しみもあって。

前にも見た夢を思い出す。
この内容をこぼす事で、どうなったのかを。
ろくでもなかった。

誰かが言葉に惑い、誰かが己の人生を後悔し、誰かが人生を惑い続ける。
タイミングが重なっただけだと、自分を落ち着かせた。それだけではなかったんだと、自分を責めた。どちらも事実だろう、と受け止めた。

人との関係に惑うばかりだ。

良い事も悪い事もしていない。

家に入った虫を捕まえ、外に逃す。
本当にそれが良い事なのだろうか?

俺は良いとは思っていない。それは単なる人間の勝手だ。
少なくとも、捕まえて逃すまで、どれだけの気圧や温度、環境の変動による、体への負荷があるのか俺には理解できない。
感謝されて当然の事だと、そんな事は思えない。

寧ろ思うのは、どれだけの事を「してしまった」のか。

人に対しても同じだ。
良い事なのか悪い事なのか、解らないままでいる。

そんなの、当たり前だろう。
俺はその人じゃない。その人にとって、良いのか悪いのかなんて、俺が決められる事じゃない。

でも…、人にとって、悪いように思えても、それが解決策の一つであるなら、どうなるのだろうか。

それも同じだ。悪いかどうかなんて解らないのに、自分で相手の事をイメージして、それに則って動こうとしている。

同じだった。

「予測」は出来る。だが、「予測」しか出来ない。
だから、俺が思っている訳だ。悪いんじゃないか、良いんじゃないかと。
人との関係に惑う、俺自身の問題なのだと。

だが、だからこそ、開き直ってしまう事は出来ない。
人それぞれ、そこは異なるだろうが、俺には出来ない。

当然に、予測に反する事はある。上手くいかない事はある。
何度も、何度でも、その重みに向き合う機会は来る。

そんな中、正直、俺の心はどこに行ってしまったのかよく解らない。当然、惑っている訳で。

きっぱり切り分けられてしまえば、多少は楽になるのだろうか?
そうではないから、今を惑っている訳で。

見えない答えと何年向き合ったか、それでもどこから考えればいいのか解らないままだ。
結果残るのは、惑いながら進んだ軌跡だけ。一瞬一瞬考えた思いだけ。

風も、水も、大地も、草木も、太陽の光も、宇宙の陰りも…影響して、影響される。
彼らに気持ちがあるのなら、どう思うのだろうか。その関係を、その影響を、どう考えるのだろうか。

人それぞれの人生の中、自分の人生を歩む、歩き方を知り、得、変化して…
だから、もし聞けるとしても、何も答えは帰ってこないのかもしれんがな。

人それぞれだから。

だが、だからこそ、何を努めて来たのかは知りたく思う。
そこには違いがあるのだろうから。

俺は…、一生抱えて生きていくしかないんだろうな。
たとえ、そこに見合わない生き方や、行動をしても。

不安に押し潰される事はないよ。自分を責め続ける事もない。
それでも、思うものは思うし、思いは積み重なる。関わった結果、誰かが俺の事を恨んでいるなら、抵抗しない訳ではないが、受け止める他はない。

ただ、疑念は膨らんで、差は大きくなり、足元が解らなくなる事もある。
人生一生涯をかけてでも見えてこないかもしれない事だ、覚束なくなれば、足元を見直して、地に足を付けなければ進むものも進まない。

煙のように掴めないし、光や闇のように漠然と広がっている事しか解らない。
何度でも考えるのだろうな。考えたいからこそ。
100090通目の宛名のないメール
この小瓶にお返事をする
誰でも無料でお返事をすることが出来ます。
お返事がもらえると小瓶主さんはすごくうれしいと思います。
※誹謗中傷や否定批判のお返事は流れません。

広告

お返事が届いています
烏羽
(小瓶主)
十一通目の方へ

いやん、怖い!
キョドっちゃうぅ。
…へへ、ありがとうとは言いませんぜ。

べっ、別に見ず知らずのあんたの事なんか好きな訳ないんだからねっ!(本心)

どうでも良いかもしれませんが、この小瓶についての進捗「ダメです」。

何考えたのか事細かなとこは忘れました故…
というのもありますが、正直な所、自分の人生設計や、人生の指針から行動などにも片足を突っ込んだ思考なので、おいそれと定まり、見て取れるものでもないというのが本音ですな。

(思考の中に、意思がある…!取りに、行く!

おぼぼぼ、この思考…深い…ッ!)

結果的に保留ですわ。
(真面目に、この手のものは思考だけでなく、行動などの外部的な動きが伴わないと見えてこないし形作られない。その上、思考の「きっかけ」としての運も絡む)

まあ、どこぞの何方かが、もしこの小瓶を拾った時に、惑いに惑っている時は…
せめて、その惑う歩みこそが、この小瓶のように、人生の一部だという事に、今も自分自身の人生を惑いつつも歩いているんだと気付くきっかけになれれば良いなと、不肖ながら思ったりします、はい。

因みに、小瓶の悩みとは別件(芯は近いかも)ですが、人にアドバイスなどのお返事される方々(もしくは人助けしたいという方々)は、くれぐれも、決して、相手が自分に「感謝してくれる」事を誇りにしないよう。

…思考過程云々の基礎がガッタガタになるみたいで、端的に言えば、そこからなる行動は思いやりではなくなり、自他共に、人生を狂わせますから…。

利己的な私欲なく、思いやりのあるお返事を送り、情が行き交い、もし相手がわざわざ感謝の返事を送ってくれたなら…
通い合った事や、情のやりとり、そして感謝の言葉を出してくれた事に対して、己が感謝できる心を持っているという事。
その「己が感謝できる心」を誇るのが精神衛生上良いらしいですな。
(どっかの偉い方が言ってた)

それでは。
ななしさん
この小瓶を読んでなんとなーく、小瓶主さんのこと好きだなーって思いました。

他にもお返事されてる方沢山いるので、ちゃんとした答えはその方々に任せてわたしは簡単に思ったことを言わせてもらいました。

会った事もないのに怖い!とか言わないでくださいね( ;´Д`)
烏羽
(小瓶主)
八通目の方へ。

そうなのよ、先なんて誰にも解らんのよ。

でも、解らない事の中でも、結果がどうであろうとも、自分自身で選択はできるし、何が起こるか、何に繋がるか、可能性は思い浮かぶ訳でもあります。

だからその為にも、何かしらの試行錯誤を、あれやこれやという思考を、行う訳ですわな。

俺はもう、現状、「解らないだけ」には、戻ろうと思っても戻れぬ(あるいは、避けたい事もある為に、戻りたくない)訳でありやす。

疲れた時には足を止め、思考にふけるなり、距離を置くなりを選択するので、お節介かもですが、キングテレサさんも無理はし過ぎないように…。
烏羽
(小瓶主)
おっと、またいつの間にかお返事が来ていた。
お二方、お返事ありがとう。

七通目の方から返信させて頂きます。

そうだなあ、俺がどうして「影響」に関して考えるようになったかは、自分でも明確には解らん上でのものです。

仰るとおり、揺るがされたから、という事や、知らず知らずのうちに、を後悔した蓄積もあると思いますし…

ただ、原型としては、その蓄積以前に、多分、関わるもの事(生命問わず)が、例えば太陽や地球が、どうしてこうも影響を与えて、その恩恵を受けているのに、自分自身は何も返せないのだろう、と、思った時からあったのかなあと考えたりします。

俺の内情を考えてもらった機会をありがたいとは思いますが、少しでも明確に、自身への理解を深めようとしてみると、ずっと前からあった気持ちが表出したというか、形として見えてきた、と言う感じかな。

(割と長い間思ってた事に対して、どう表せばいいかの表現が見えてこず、それがこの小瓶で「おこがましい」と言う言葉として表出した訳でありやして、それに対する答えというか、対応や考え方というか、上手く見えてこなかった。ただ、お返事している中で少しずつ見えてくるものもあったので、そこは今も変化進行中)

ぶっちゃけると、俺自身の本当の気持ちはずっと解ってないですし、これからも確実には解らないと思います。
現在進行形で変わり続けている以上、軌跡を見る事しか、見る事でしか、朧げなもの以上には、今の形を判断できないものだと、勝手に思っとりますので。
(その都度、理解に近付く努力はする)

多分、漂流する寂しさや、その先の疑心暗鬼地獄やらも割と経験済みなので、そこんとこは大丈夫ですぜ。
(一人の時間を長く経験している身でもあるので、思考が一人遊びの種ともなったし、その分思考が自分を傷付けたり、崩していく側面がある事も知ってますぞ。ついでに言うと、考えるテーマをメモしておくとか、宛メのように思考を雑記として残し、読み返すとかが具体的な対処法となります)

とはいえ、それ故に必ず落とし穴や、綻びが出る事も解っているつもりではあります。
幾ら自分を保つ方法や、足元、足をつけていた地を見返す方法があろうとも、ダメな時はダメでしたからね。
(概念づけるメリット、デメリットもある)

自分自身が何者で、どこにいるという自覚を保つ方法も、ダメならそれはそれで立ち直る方法も、生きている以上増え続けていくのかもしれませんな。
(自分自身が変化し続ける故の永久機関)

それに、見失っているという事は、新しく自分に要素を組み込めるという事と、背中合わせでもあるかと。

…だからこそ綻びも生まれるという話ではありますがね。

正直、思考、思案の、その終わりを作ろうと思えば、作る事は出来ます。(自分の内の事なので)
でも、生きている以上、変化し続ける以上…、一生涯という観点から見れば、幾ら終わりを作ろうとも、そのどれもが通過点にしかならんのだと、感じてますんでね。

満足はもう、十分なくらいしてますよ。
もっと、もっとと、心満ち足りる事を求めなければ、存外あっさりと満ち足りますからね。

…なんて、賢者ぶるのも面白いもんですな。

賢者はいいや、俺は脳筋戦士の方が性に合ってるんだよーい。

…いやまてよ、知的な筋肉を目指すと言うのもなかなか…。

↑このように、欲を追えば追うほど、目当ては湧き出し、完全な満足というのは永遠に出来ないものでもありますが、それはそれで原動力となりうるのが、良い所でもございます。

とりあえず、ありがとう。
もし七通目さんに、なんかしらつまづく事があっても、何かしらのきっかけや気付きがあるとええな。

俺は少し見えてきた事もあるし、もうちょっとゆっくり考えるわ。
人の生き方は無限大です、どう生きてどう歩むかは誰にも分からないです、人間関係も出会いもどこでどう「繋がる」かは分かりませんよね、人生は「分からない事」の連続でもあるのですから。
ななしさん
私はあなたについて、誰かから影響される、自分自身(の価値観、考え方)を揺るがされるという体験をして、“自分が放った言葉もまた、自分が体験したように、誰かに影響するのではないだろうか”と思ったのかなあと想像してみました。

自分にそういう体験があって初めて、今まで無自覚だったこと、知らず知らずのうちにやってしまったのかもしれないことを思い、“おこがましい”という感覚が生まれてきたのではないかなあ。

あなたは自分を顧みられる人ですね。そして、そういう自分の体験をもとに、“人が何を考え、どう思うか”を考えられる人なんだと思います。
それを優しい力だと思います。

そしてその優しい能力を持つがゆえに、人との距離感の保ち方も、ときに複雑になって、ときに悩みの一部となっていくのではないかなあとも想像します。


生きていれば、悩みや自分への問いは尽きませんね。
あなたもまた、終わりがないように思える自分への問いのなかにいるのだとお見受けしました。
自分の精神世界を中心に、その内外についての色んなことを考えれば考えるほど、あなたの独自の世界観は深まり、広がり、あなた自身を惑わせるのかもしれません。
だけど、だからこそ、どうか自分の本当の気持ちはどこにあるんだろう。今自分はどうありたいんだろう。という問いを忘れないで持っていて欲しいと思います。

あなたは、あなた自身とこの世界について、たくさんのことを考えられる人なんだと思います。そしてあなたにはあなたの人生しか生きられないのです。

あなたと、この世界のあらゆることという形で、考えてゆけばいいと思います。
きっとあなたのような人は、考えるのをやめられないんじゃないなあと思うからです。
あなたから出た結論は時に人より深く、人を助けられるし、あなたが周りから受ける刺激は、ときに人より強く、人より深い場所に入り込んでいくんじゃないかなあ。

見てみたい、感じたい、知りたいと思うものが哲学的に大きくて深淵だから、だからこそ、自分の本心だけは見失わないでね。
広くて深い海の中で、自分を見失うとこれがなかなか大変です。孤独に漂流する寂しさに飲み込まれてしまうのではないかと心配になります。

自分がどこにいて、自分が何者であるかを自覚しながら、あなたのその感覚と思考が深まっていくなら、きっと誰もが気づかなかったことに気づくことができるんだろうと思います。そしてあなたの心もまた、満たされていくんだろうなと思います。

それって素敵な人生ですね。まさに酸いも甘いも噛み分けた、賢者のような人になるのでしょうね。
烏羽
(小瓶主)
三通目の方へ。

まず初めに、わしは烏羽(からすば)じゃよ…。
鳥羽という他の人も過去にいらっしゃった筈なので誤解なきよう。

うん、まあ、真摯や謙虚なのかは俺の体調にもよるかな。
自分を犠牲にしすぎる事はしたくないというか、割とデメリット多めなんじゃないかと思って。
(人に関わる事で、良くも悪くも、自分にも必ず影響はあるし、変化は付いて回るし、それが積もりもする)

残念ながら、俺は赤ん坊に感じる無垢な瞳への抵抗感とかはないかな。
(汚れていようが俺は俺だし、見るなら見ろっていう。個人的には、未分化の分、赤ん坊の方が混沌としているように捉える事も出来るような気もする。
…因みに、どうでもいいですが、生物的に赤ん坊は、赤ん坊自身にとって危険かそうでないかを見分けているそうな。なので、ある意味生物的に純粋というか、逆に成長した人間が本能から距離を置いているというか…、こちらが理性やら脳回路によって意味をそれだけ作っているという事でもあるかと)

どういう過程から薄まったかは詳しく解らんのですが、俺も自己顕示欲関係について他人に思う事はありましたし、ぶっちゃけ今はどうとも思わなくなりましたが、たまにあります。
(要因とか、起因とか、その周りの興味もあるので中々に考える)

猫のポチさんを否定するとかではない(寧ろ概ね同意)んだけど、意見として、自分自身を傲慢だと思う事と、相手を傲慢だと思う事は種類が違うように感じます。

相手の動きも含め、どこに何を感じるかという部分は自分自身にある訳でして。
自分自身が悪いとかいう話でもなく、自分自身の評価なんですよね。

難しいのが、知識をひけらかす事自体が何か、例え小瓶主さんの為にはならずとも、状況を含めて他の誰かの情報、参考になる可能性もある訳で。
(ここら辺、割とかなり悩んでるけど、納得いけそうな答えが見えてきてないし、人次第である訳で、確実性や確率もない事が解った)

逆に、幾ら影響や配慮を考え、行動に移しても、それらが確実に受け取られる訳ではなく、こちらとしてはどうしようもない、他者の領分もある。
ここら辺は、何を重要視するのか、どこを意識するのかで、発信者も受け手も同様に、かなり行動が変わるかと思います。

だもので、三通目の方のように見えない優しさの部分とでも言いますか、そこを汲み取ろうとしてくれる姿勢がとてもありがたく、同時に見習いたいと思いますな。

まあ、思いやりや愛情は目には見えませんし、形となるとは言えど、あくまでも推測でしか測れませんし。
だからこその嬉しいものではありますが、伝わらなければ、そこに意味があると感じる姿勢がなければ、正直、何もない事と同じというか、通り過ぎるだけでもあるので、そこは謙虚にいたい訳でもある。(そういうものに、私はなりたい)
烏羽
(小瓶主)
二通目の方へ。

確証は判断しかねるが、ありがとうと言ってくれてありがとう。(意思疎通というのか、そういって貰えると心が軽くなる)

なんだろな、俺の場合は干渉する事で、自分がヘマしてないかとか、未だ辛い思いはしていないかとか、その人の先が不安になったりする。
(それについての、自分のメンタルや思考関連やら、相手や現象に対してどんな対応が出来るのか考えたりもする)

もちろん嫌いな人が嫌な事をしてくれば、反撃する事も多々あるし、そこに罪悪感を一々感じる事もないけれど、態々嫌いな奴に、嫌な事をする労力があ
ったら別の事に時間を使いたいとも思ったりする。

人間矛盾の多い生き物で、干渉したさも干渉したくなさも、俺にもあります。
(正確に考えると、干渉したいしたくない、というよりか、何かしたい事があって干渉する、避けたい事があって接触をためらう、という訳なので、言葉の表現次第というのか、根本的な矛盾はしてないと思いますがね)

人に対してどうこうは現在、あまり思わないので、人間味を感じるというのか、色んな価値観、考えや、行動をなりたたせる感覚があるんだなあと、感慨深く思う次第ですかな。

ちょっとした興味深さから、俺自身、怒りや憎しみという感情がどういったもので、どんな影響を自分に及ぼすのか、その中でどんな行動を取る傾向があるのか、悪い行動があるならどう対応したり、そもそも変える事は出来るのか、試したりもしてますが、無理やり怒ったり憎んだり、湧いてくる激しい感情に乗っかったりする事が、まず難しい事に気付いちゃったりしてます。

まあ、バグやエラー(予想外)が道を切り開く事もある、きっかけになるという部分は身に染みて解っているつもりではあるのだけれど、悪く思う事象にも繋がりうるという面はあるので、諸刃の剣というか、そこまでを仰ってはいないかと思いますが、自ら起こそうというのは割と危険な面もあるなと感じますかね。

俺も、自分が何かを言って、そこに何かを感じるのは相手だとは解っているのですが、自分が相手に干渉している以上、せめて良い影響に繋がればとも考え、行動に移します。
この小瓶は、どこからどこまでが自分の取れる範囲の領域なのか、どこまでが相手の範疇で、手を出せない、あるいは出したくないのか、まだ曖昧だからこその悩みでもあるのかもしれませんな。

個人的な話、どうやって今あるこの己、自己が確立してきたのかは解りませんが、基本的には「自分自身を見る、自分自身の声を聞く」事からなのかなと思ったり。

はは、幾つ歳を重ねようとも、例え答えに終わりがなかろうとも、その時その時納得できるような、行動の指針となるような価値観を考えもしますし、見ないようにする事、消えるまで待つ事は出来ても、悩みや迷いは湧き上がっても来ます。
そしてその都度、考えたい時に考えてきたまでですよ。

思考は行動の下地となり得ますからな、良くも悪くも変化のきっかけをもたらす、一つのツールだと思ってますぞ。(聞いてない事をベラベラと抜かす)

なもので、個人的には、辻褄があうだけではなく、合わせようと思えば相乗的にあっていくのかもと思います。

ククク…、考えに使われる事なく、考えを使う事なく…
中道ですな。

かと言って、中途半端でもなく、中途半端でもあるという。
人間、多面的なものなので、言葉だけだと矛盾はしているものかと思いますが、やはり一人の中にも別々の方向性の感情や思考、価値観をも持つものなのでそうならざるを得ないという部分もあるのかもしれませんね。

ちょっと仏教知識でも漁ってこようかな…

自己の確立、捗るといいですね。

ただ、少しお節介を焼かせて頂けるのであれば、「自己の確立は、保身や他の排斥ではない」ので、注意されたし。
(自己を確立する事で、芽生えた我は強くなる。我は、本来自分を守る為のものらしいので、そう考えると自分を守る力が強くなる。自己を守る力が強くなるという事は、保身や排斥する気も強くなる可能性に繋がる、という訳ですな。例えるなら「自信がある人ほど謙虚である」的なアレ)

…因みに、俺は鳥羽(とば)ではなく、烏羽(からすば)なのでそこもお気をつけたし。
別人の鳥羽さんは過去にいらっしゃったので…、混同されるとちょっと俺も(今いらっしゃるか解らんが)鳥羽さんも困っちゃうかもしんない。

それでは。(給付金欲しいぜ)
烏羽
(小瓶主)
お返事ありがとう。
一通目の方からお返事を返させて頂きます。

はは、まあ、自由にはしてますよ。
ただ、人の目を意識するという事は、自分の中に人の基準や、他人基準のイメージを組み込むということでもあるので、どこが自分なのかという部分を明確にしておかないと、自身の自由、マイペースに干渉する可能性が高い、繊細な部分でもあるかと思っています。

そこが中々、気持ちの折り合いが難しいというか、どうしても、自分の思いがどうとか、相手の思いはどうなんだとか、相関的なものとして揺れ動くもので、その上自分と相手の境界が曖昧になりやすいというのか、相手が「自分の思った通りだとイメージする」とでもいうのか、「誰かの為と思うからこそ」同一視する事で起こりうる危険性が付いて周り、難しくも思うものですな。

自分自身、相手と自分の境界が曖昧な所でもあり、きっぱりと相手は相手だと、自分は自分だと、そう切り分けても再び揺れ動き、曖昧にもなり。
その感覚は個人差もあると感じますが、他者と関わる以上、避けては通れないのかなとも思う所であります。

自分自身の思いを優先する事しか出来ず、その上で行動に移る以上、仕方ないと言えば仕方ないのですが、相手にとって「良い」という可能性を増やせるものは何なのか、相手にとっての「悪い」を少しでも回避したり、見極められる可能性がある事はなんなのか、まったく見えてはいないのですが、何かしら繋がるものがあるのであれば、じっくり考えたいですね。

ロクサスさんにとっては、無自覚かもしれませんが、もしかすると、「少しでも誰かのために何かしたい、している」、という事が、案外今ある、あなた自身がそこに在る価値に繋がっとるのやもしれませんな。

よくわからん文章と仰いますが、俺自身の小瓶も曖昧な所が多い上、その中で何か寄り添おうと、伝えようとしてくれた事がまず嬉しく、ありがたく感じます。
正直、お世辞でもなんでもなく、読みづらいとは感じなかったので、それなりに文章力とでもいうのか、あると思いますよ。
私は子供が苦手です。
姪っ子なんかと遊んでいると自分なんかが関わってしまって良いのか?と時々不安になります。
赤ちゃんに無垢な眼差しで見つめられると汚れた自分を見透かされている様な錯覚を感じる事もあります。

少しは小瓶の内容に通ずる部分が
あるでしょうか・・・?


それから、教えを乞うてるわけでもないのに生き方や思想や哲学を説法してくる人も苦手です。

ただ知識をひけらかしたいだけの自己顕示欲を感じてしまい、相手への影響や心証の配慮のないことに傲慢だとすら感じてしまいます。

前置きが長くなってしまいました。

鳥羽さんの小瓶でまず思ったのは
人に対してとても真摯で謙虚な方なんだな
と感じました。

そしてそれらは、大きなあるいは強い
思い遣りや愛情に昇華する可能性が
あるのではないかと思うんです・・・

一縷の望みってやつかもしれないし
そういうものが美徳にはならない
世知辛い世の中ってやつですけど(苦笑)


他人との適正距離を即座に認識し、
良い影響になる可能性を正確に予測し、
そこにエラーはないと自分を納得させられる

そんな事が出来たら人の領分を越えた
それこそ傲慢になってしまいますものね・・・

だから、他人にどういう言動を行ったかとか、他人にどういう影響を及ぼしたかよりも

どれだけ思い遣りや愛情をもって
接しているのか。
鳥羽さんのその部分を汲み取らずには
いられずにお返事してみた次第です。
ななしさん
「話してみたい人は誰ですか?」という質問が私は苦手です。
勝手に他人の名前を出すこと(あるいは出さないこと)による影響を考えたくないからです。

他人に干渉したくないなあと思います。
「すべての選択は本人の責任のもとに行われ、すべての人は本人にとって最適な選択をする」
というのは、私の信念に近い考え方ですが、同時に他人をそれほど信じることもできないからです。

一方、他人に干渉したい私もいます。
他人の人生を台無しにすることは楽しく、何年もその思い出で酒が飲めます。
自分好みに他人を作り変えて行くことは、自分が有能になったみたいで楽しいです。最低ですね。

人違いでなければ、鳥羽さんは私より2個くらい年上です。
あのときは小瓶のお返事ありがとうございました。
まだあれこれと考えてらっしゃるんだなあ、この人は。と思いながらこれを書いています。
考えることに良いとか悪いとかないですし、助けたいとも思ってないです。

自己の確立には、腹をくくることが大事なのかなあと思って
最近は、自分が嫌うものや、ぶん殴りたいものを探しています。
理想とか、自分の制御圏内にいるかぎり人生は退屈すぎるんで、たまにはみ出すのもいんじゃないでしょうか。

失敗も後悔もたぶん「おいしい」ですし、どうせ80歳くらいまで生きるんで
その頃には全部つじつまが合っているはずです。

それでは!
すごく色々考えてるんですね。
確かに「誰かの為に」なんてのは
全部自分の中だけでの話であって
相手にとって私の言葉や行動が
良いものとなるか悪いものとなるかは
結局のところ相手次第ですよね。
自分では良いことをしたつもりでも
相手にはただの迷惑でしかないって
可能性はきっと思ってる以上に高そう…
けど、やっぱり私は私の中での
予測の範疇での「良いこと」を
し続けて行くんだと思います。
私は自分に価値を見い出せません。
けどそんな私の言葉でも届く可能性が
あるのならやっぱり止められないです。
回り回ってただ自分を満たしてるだけ
の行動かもしれないけれど、
これが私なんですよ(笑)
自己中でマイペースなのが私です!
だから小瓶主さんも小瓶主さんが
思うように自由に思考して行動して
いれば良いと思います。

よく分からない文になっちゃった。
読みづらくてごめんなさい。
この小瓶にお返事をする
誰でも無料でお返事をすることが出来ます。
お返事がもらえると小瓶主さんはすごくうれしいと思います。
烏羽さんの他の小瓶
価値…、価値か。意味や価値は人の中で産まれる。とりわけ人と人との間で産まれやすく思う。まるで淡水と海水が混じる、汽水域のように、人と人との間には意味が湧き起こる やっと解った。俺自身が生きている意味も、生きる為の意味も。真剣に考えてから、何年経ったかは解らんし、そこまで興味もない。自分を守るために…その方法を、探していた
以下はまだお返事がない小瓶です。お返事をしてあげると小瓶主さんはとてもうれしいと思います。
もっと素直になれたらいいなぁ。高校に入学した時は「高校生活楽しむぞ!そして次こそは親友を作るんだ……!」なんて思っていたけれど今の今まで話し相手もろくにできなかったよ 好きとか嫌いとか、うまく選別できない。もっと気軽に相手の全部を断定して「嫌いだ」って言えたら楽になれる気がする 殺してしまう前に殺されたい。そのうちペットや大切な人(いないけど)を殺しそうで怖い。イライラが止まらない 失敗した。いや、今回に関しては私のせいじゃない。そういう運命だったから変えられなかった。クラス替え。いつものクラス替えならこんなに落ち込むことない。 冷静沈着になりたい。楽しい日もあれば辛い日もある。そんなの当たり前って思うんだけど、その落差が激しすぎて、日々削れてる気がする しにたい 社会って複雑だね。両親が喧嘩してしまいました。今回のは今までの中でも激しかったです。学校ではからかわれて、トイレに籠ったりして泣いてました 恥を量産する毎日。自分のとった行動が後になってみると死ぬほど恥ずかしくなる。いつも唐突に自分がやった恥ずかしいことを思い出して死にたくなる。 遠距離の習い事友達に会った。ちょっと辛かった。その子の相方はコロナで辞めちゃった。その子の話題が出た時寂しそうな目をしてた。でも元相方の子も可哀想。親の意思で勝手に辞めさせられて 学校ってみんなで誰かを攻撃する場所だったっけ。こんなところに通う意味がわからない。 あーやばいほんとに。何もかもがうまくいけてない。なんかこれ書くのもめんどくさくなるくらいもう動きたくない。いつからこうなったんだろ。 争いがやだ。でも、無くしようがない。パレスチナ問題もどちらかの民族が消えないとなくならないような、でもそれはダメだ!どうやったらいいんだろう? 友達と上手く行かなくて疲れちゃった。自分にとっては大事な友達だったけど、少し距離を置きたいって言われてしまった 被害者ヅラするな私 みんなだいすき。今まで色んなことがあって、休職して、うつ病になって、死んでしまいたいとそれしか考えられない日々だったけど、それでも、昔からずっと周りの人に恵まれて助けられてる

宛メのサポーター募集

広告

お知らせ
過去のお知らせ
宛メサポーター募集 宛メで音楽 宛メコラム 宛メのアドバイザー石渡ゆきこ弁護士 宛メのアドバイザーいのうえちかこ(心理士・カウンセラー) 悩み相談ができる相談所を集めたサイト 宛メ本 小瓶に手紙を入れて流す
宛メについて
宛メのこころえ(利用者さんの言葉) お返事のこころえ(利用者さんの言葉) 宛メに参加している人たち(利用者さんの言葉) 宛メとの出会い(利用者さんの言葉) 初めての方 Q&Aヘルプ 宛メ、サポーター募集! 運営委員のご紹介 運営委員ブログ 特定商取引法に基づく表示 お問い合わせ 運営会社
twitter & facebook & instagram
フォローやいいね!すると宛メの情報が届きます。
緊急のお知らせなどもこちらから配信しますので、ぜひ登録をお願いします。
Follow Me