壁の小瓶。
4月からの1年の休学が決まり、テストとレポートが襲い来る急展開を迎えた年明け。その怒涛の勢いのまま突入した、春休み真っ最中です。
この休みを利用して、週1で病院に通ってマインドフルネスのプログラムを受けています。
どうやらそろそろ体調を崩しはじめてから8年目に入る頃みたいです。
(ということは宛メ歴ももうちょっとで8年)
マインドフルネスの序盤に出てくる用語にdoing mode(することモード)とbeing mode(あることモード)というのがあります。
doing modeは何ができるか・できないかで価値判断をしている状態なのに対して、
being modeは良い状態も悪い状態もそのまま認めることができる状態を指すらしく。
で、これ、理屈はわかるのですが、実践レベルでは掴めそうで掴めない。毎日すったもんだの悪戦苦闘です。
マインドフルネスやり始めの頃、そういえばこれ、どこかで聞いたなぁと思ったら、3年くらい前に宛メでまりちゃんさんにめちゃくちゃ指摘してもらったことだったことに気づきました。
ぜんぶひっくるめて、まる、っていうのが当時はわかっていたつもりだったし、何なら最近まで理解していたつもりだったけれど、
今度のプログラムでまだ良しあしの価値判断をしている自分がいることが浮き彫りになってしまい。
うわーーー、全然だめじゃん! と。
けれどこの「全然だめ」すら出来・不出来で評価するdoing modeで、あぁまたダメだって“評価”している自分がいて…みたいなループが数週間続いた。しんどかった。
ここ1週間くらいで、やっと価値判断している自分を俯瞰して見られるようになることが増えてきた。けれど、それもきっちり身についたとまではいかなくて。
主治医の先生にはこれを克服できるかどうかが山場ですね、と言われたのでめちゃめちゃ頑張っているけれど、難しい。
3年越しに同じ壁にぶつかるとは思わなかった!
キツいのはそうなのですが、あの頃腑に落ちなかったことが、今になって すとんと納得できるようになってきたのには、かなり感動しています。まりちゃんさん本当にありがとうございます…!
お漬物みたいに、ちょっと時間を置いたほうがうまくいくものもあるんだなぁ、と思いました。
あと、わたしは、今までずっとちゃんとやらないと怒られる!と思っていたのですが、案外なんとかなるものなんだなということも今回のプログラムで実感しています。
(これはいいこと…なのか?)
程よい適当を習得するために修行中です。
小瓶を流すたびにいつもお返事をくださる方々がいて、それが励みになったり気づきになったりもします。そんな仕合わせにも感謝です。
今は勉強を放り出してひたすら眠っています。
やることを先延ばしにする罪悪感に苛まれつつも、ここまで気持ちにゆとりをもって休めたのは何年ぶりなんだろうというくらい、寛いでいます。休学ばんざい。
物事がちょっとでも、好転するといいなぁ。
過ぎ去った10代を巻き戻してリプレイすることは、地面が揺れるほどの地団駄ステップを踏んでも不可能だけれど、
わたしはまだ20代のはじめにいるのです。
航路はこれから。
僧侶レベルは初級。ゆるゆる修行はまだ続く!
(去年買ってもらったスーツを久しぶりに着たらパツパツ気味だったので、ダイエットしなきゃと思います。思ってはいます。)
95007通目の宛名のないメール
小瓶主の返事あり
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お返事が届いています
キングテレサさん
お返事ありがとうございます!励みになります。
烏羽さん
いつもありがとうございます。
そう…書いてくださったことまさにその通りなのです…
良し悪し判断をしている自分に気づくことは必要なのですが、それ自体を評価するのではなく、ただそういう自分がいることを認識するというか。
その状態に「ある」ことに判定を下さないでそのまま見つめて放っておくというか。
理屈としてはわかるのですが、白黒思考でやってきた身としては、評価=ダメ と結びつけてしまって、そんな自分にまたバツ印を付ける始末で…という感じで小瓶を流したときはとても悩んでいました。
評価自体は悪いことじゃないけれど、0か100かで考えすぎるからもうちょっとコントロールできたら楽になれるのになぁ、とか。
今も、雲を掴む程度だったのがせいぜい綿菓子になった程度で、実感を伴って理解しているとまでは言えないのかもしれません。すぐに溶けちゃう。
定着しているのかよくわからないふわふわの状態ですが、とりあえず瞑想は続けています。
(顔パックしながらやってるって言ったら主治医の先生に大笑いされた)
「すること」も「あること」もどっちも状態というのは、目から鱗でした。たしかに!! ぴしりと初心を思い出した気分です。ありがとうございます。
早く変わらなきゃと結果を急いでいたので、栄養と日数が必要だと言われてちょっと安心しました。いっぱい食べます(ちがう)
何かと騒がしい時期ですが、体調にはお気をつけください。ありがとうごさまいました!
うーむ…
正直、あまり言いたくはないが、良し悪しを超えた状態になる、というのは、別に良いもんでもない。
当然、今とは別の状態になる訳だから、人によっては都合の悪い面が新しく出てくる事にもなるかもしれない。
勿論、都合の良い面も生まれるのだろうが。
(俺の場合、日々の原動力が薄まったので、「自分自身が何をしたいのか、どう生きたいのか」を煮詰める必要があったし、今も気が向いた時に自分と向き合っている)
はっきり言って、する事モードも、ある事モードも、状態であって、良し悪しはない。
良し悪しを付けているのは言わずもがな、一人ひとりの人間だ。一人一人が自分の人生を生きているからだ。
…もし、表現は悪いかもしれんが、勘違いをしているのなら、「評価をしないようにしよう、とする事」が「ありのままを認める事」ではないと思うぞ。
評価をしても、ありのまま、その良し悪しを認める事は出来る。
…というか、評価、価値の判断がなければ、良し悪しなんて生まれないからな。
(恐らくここが矛盾の原因ではないかな)
強いていうのであれば、単に「あれは個人的にダメだと思うけど、別の視点もあるよね」と思えれば、それでありのままを認めているという事と同義だろう。
(絶対の必要性は感じないが、何か目的があるのなら、常日頃何事に対してでもその視点を持てるようになる事が、その視点を身に付けるという事なのかもしれん。…一人の当事者としては、頭の中がゴチャゴチャでしょうがないが)
他の言い方をすれば…
良し悪しの判断、評価を付けるというのは、それだけで物事に進む力ともなる。
だが、反面、何かに執着したり、片面だけに囚われる事にも繋がる。
それだけではないだろうが、その、メリットとデメリットを理解する、「人間の認識を知る」という事だろうかな。
(真面目に書くと、脳回路としての繋がりを、人によっては新しく作る事になるので、視界が変わるには、栄養と日数が掛かる。
あと、常日頃からそういう視点だと、個人差はあると思うが、どうも複雑な思いを抱きやすくなるようで、さらに自分と向き合うというか、ストレス発散やらリラックスやら、方法を増やした方がいいかもしれん)
はは、まあ、りぃふさんの書かれたマインドフルネスがなんなのか、よく解ってはいないから、そのプログラムで目指すものと一致しているかは不明だがね。
呼吸などの身体の感覚に意識を集中させるとか、吸った息の倍吐き出すのを繰り返すとか、いくつかやり方はあるが、瞑想はいいぞ。
詳しい理由は解ってないそうだが、統計的にやり方次第で集中力や落ち着き、冷静さなどが高まる可能性が見えているからな。
これからの人生、色んな行き先があるけれど、あなたには必ず明るい未来があるよ。
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