変わらない日々が嫌い。でも、どこで変化を恐れている自分がいる。どうすればうまいようにいくのかどっちが最善の選択なのか、そんな簡単で完結で簡易的のように感じるけど困難な何かが、変わろうとする自分を、変えようとする自分を阻んでいる気がする。嫌いと言うより、怖いのかもしれない。変わったことにより障壁になってしまう何かを作ってしまう可能性がたまらなく挑戦という単語を阻害する。これまでの人生がそう自分の脳裏に語りかけて、また惰眠を謳歌させる。
幸せになりたいと、ずっと願っていた。もちろんなにもせずにただぼーっと空虚を眺めているだけでならないっていうことは知っていた。でもどうすればいいかわからなかった。性格だとか容姿だとかそんなありきたりのことしか変えられていないから、昔の自分に顔向けできないのかもしれない。
多分、自分は鬱病なのだろう。友達に言われたこともあるし、なんとなく日々を生活していてもそうだろうなと自覚することはある。昔楽しんでいたものがなにも楽しくなくなった。なんもしてないのにしんどくて休日等はずっとぼーっとしている。夜は不眠症で寝れず、無理やり寝ようとしても1.2時間かかるのは当たり前。あんまり笑うこともなくなってしまったかもしれない。でも、それでもやるしかない。俺がどうなろうが、時間は流れていくし、待ってくれるわけじゃない。だからやるしかない。そんな気持ちでずっと騙し続けてポジティブなように、気丈に振る舞っていた。しかし、そうしていても意図せず気分が落ちることはあるもので、どうしようもなくやるせない気持ちになる。別に慰めてくれる人もいない。相談できるような人もいない。もちろん彼女なんて都合の良いものもいるわけがない。そんな生活を続けていると、嫌なことの連続で気分が回復することがなくなってくるような気がしてきて、死んでしまおうかなんて馬鹿げたことを何度も考えてしまったりもする。昔から多汗症だったこともあり、いろいろとトラウマがあったりして性格も捻くれてしまったのが色々と原因なのかもしれない。(それだけが全てではないにしろ)実のところ数年前に一度自殺未遂をしたことがあって、そのときは運良くなのか運悪くなのか失敗して、それから死ぬのもめんどくさくなってしまったというかそこに至るまでが億劫というか…性へのしがみつきもあったと思います。別になんというか死にたいわけじゃないのにそうならざる終えない状況になってしまっている現状を目の当たりしている。だからこそ選択肢がそれしかなくなってしまっているのだろう。死ななかったら良いことがあるかもしれない!とかそんなことをよく聞くけども、それはもう数年前に思ってやってみた結果なんだよ今が。そもそもなんとなく自分の未来ってこうなるのかなみたいな安直な予想みたいなのがだいたいわかって、ほぼ当たるので明日にかけるっていうのもなっていう。自殺未遂してから少しは本当に明日生きれば…明日生きれば…みたいな、そんな感じだった。結果はお察しですが(笑)そこから自分磨き、世間の勉強などなどして自分の価値を上げるために頑張りました。(と思い込んでるだけかもしれませんが)しかし、自分だけが変わっても周りが変わってなかったら同じことを繰り返すということ。別の環境に行くこともできないので逃げることもできないという次第。そもそもそうなったところで既に朽ち果てているので何もできないような気もする。友達も(知り合いならいるものの)いない。彼女もいない。家族は毎日喧嘩の嵐で自分にとばっちりがくる始末。なんだか将来に不安しかないというか、幸せになりたいはずがどんどん遠ざかって、そんな資格ないってことなのかなんなのか、勝つ人がいれば負ける人がいる。つまりそんなことかもしれない。どうすることもできない為、やむ終えず死を選ぶ。いろんな方々がやってきたことである。また一つ同じ道を辿るものがいるだけ。それだけなのだ。見えない明日に期待するのはもうやめよう。決してそれが明るいものだとは限らないのだから。どうしたらいいのかわからない。だから諦める。それのどこに間違いがあるというのだろう。稚拙な文章だ