海辺でぱちゃぱちゃした経験とメディアなどから聞いた程度の知識で、大海を知った気になっている唯我独尊のうぬぼれ蛙です。
本題に入る前に“唯我独尊”のお話。
「うぬぼれ」の意味で使わないでほしい。「うぬぼれ」と表現できるのに「唯我独尊」をわざわざその意味で使おうとするな。同じく「自負」もやめてくれ。
それから“ブッダが誕生した時に言った言葉”っていうけど、それについては別に信じても信じなくても自由よ。仏教を知って頂くために説法っぽい話から始めても聞いてもらえなさそうだから、まずは「ブッダは生まれながらに超人」と経典どおり伝わってほしい。信じる信じないは自由だけど、辞書にはそういうことにしておいてほしい。
もう一つ。ブッダだけではなく、各々皆が尊いと言いたいのだと井の中の蛙な私は思っています。賛同が得られるのなら、「命は唯一無二でそれぞれに尊い」を辞書に追加のご検討願います。
ここからが本題。
信号待ちをしている時に、「現在、この世の中が混沌としているのは、信仰をする人が少ないからだ。だから、この宗派の仏教を信仰しましょう」みたいな内容に聞こえました。
宗教好きの井の中の蛙の私としては、気になったところがあります。
現代社会に生きる多くの人は、お釈迦様ほど悲惨な経験もしていなければ、苦しい修行もしていないでしょ。
そんな人たちに対して、“混沌だの、この世は苦しみに満ちている”ってところから伝えても、耳に入らないと思う。
それに、仏教のお話はそれぞれの状況やら性格に応じて話すものだと思うんだ。大衆向けに話すのなら、悲観的な内容より興味を持ってもらえそうな内容の方がいいと思いました。
例えば
・老、病、死に対する苦しみの和らげ方を知れる
・壁にぶつかった時に乗り越えるヒントと、心の鍛え方みたいなのを知れる
・知識の一つとして仏教があれば、世界の見え方が変わる
・今以上に人に優しくできる
・心の悪い癖に気付ける
・知らずに人様にかけているご迷惑に気付ける
・あなたの日常の善行を今以上に菩薩様、神様、仏様に知ってもらえる
・震災や戦争のニュースで心が苦しいとき心の癒しとなる
など。これが大衆に響くかは疑問なので、ご意見募集。
それと、宗派は関係なくない?宗派によって経典が違くて、経典が違うから本人に合うか合わないかはあるだろうから、それぞれの好みに応じて選択で。そもそも宗派や宗教に関係なく、良き師に会えたらいいと思う。
布教活動自体はお疲れ様です。そしてありがとう。
意下、補足。
お釈迦様は小鳥が虫をついばむ姿をみて「生き物は互いにく相食む」と目の前の小鳥と虫の様子から生き物に対しての慈悲の心を持ったそうだ。
それから、東西南北に出かけてみたら、老人、病人、死人に会い、生きていれば誰もがこうなると悲観して、最後に修行者に会い出家を決意した人。一族の王として生まれていながら、どんちゃん騒ぎの後の様子を見てもあわれみ。
つまり「生きていたら食べるのが普通。老・病・死も当たり前。食欲任せの飯はうまくて幸せ。俺は王様だ」と受け止める人ではないって事。
それとお釈迦様は、修行者して悟りを開いても一族滅亡を経験されて、それでも悲惨な経験から得た悟りを、亡くなるその直前まで、ひとりひとりの性格に応じてお話をした人。
経典を残したのはお釈迦様本人ではなくてお弟子さんたち。
時間が経つほどに解釈の違いがどうしても発生しやすい。誤解した者どうしの対立議論は不要だよ。仲良くお話しよう。
それと日本の場合は八百屋の神の神様と仏様が混じりがち。明治に神仏分離が行われても感覚的に混じっている人が多そう。受け止め方に対しては間違いなどはなく、自由だと思う。
宗教好きの井の中の蛙な私は八百屋の神も、キリスト教も、イスラム教も、興味あり。もちろん、宗教に興味がない方も興味あり。
一方で、秩序と道徳とモラルと科学と化学と数学だけでも足りてそうと思う時もある。残念なことに、宗教があっても戦争は今も進行中。そして悟れていない井の中の蛙な私。
だから秩序も宗教も無意味なのではなくて。あった方がまだマシだとは思っています。部屋の掃除してもどうせ汚れるけど、掃除はするだろ。
ここまで読んでくださりありがとうケロ。宗教の解釈違いと感じることに憤怒しやすい井の中の蛙でした。駅前で聞いた話引っかかった程度です。むしろ、感謝の気持ちの方が大きい。
包丁は料理に使うために発明したし、使い道も発明当時の目的どおりに使おう。地位やお金集めのため、戦争やテロの口実。考えが違う者どおしの対立は宗教の目的ではない。
人さまのご意見、ご感想をお待ちしております。
あなたこそ、井の中の蛙の良き師かもしれない。
2024 降誕会