ラベル通りです、教えてくれるなら読まなくてもいいです(わたしにはよくあることですが、今回も長くなりました)。
持論でいいので、何か正解のようなものを与えてくれると嬉しいです。
ただ「わたしも分からない」とか「そんなことどうでもいいじゃん」とひとこと言うだけなら、何も与えてくれないなら、お返事は遠慮してくださると嬉しいです……それらは欲しいお返事ではないし、答えのあるお返事をもらえない可能性があるからです。
わたしには、小難しいことを考える癖があります
……という文を考えて、思いました。
「癖」と「依存」とは、どう違うのでしょうか。
わたしの、小難しいことや答えのないような問いを突き詰める行為はどちらに該当するのでしょうか。
クセになって依存になる、というプロセスがあるのですが、そのクセと癖は少し違う気がします。
何より、癖の先に依存はないと思うのです。
わたしはネットが大好きなので、「癖」について、「依存」について、また、「癖と依存の違い」について調べました。
「癖と依存の違いについて」は、うーん、これといったものは引っかかりませんでした。
浪費癖と買い物依存の違いとは、という記事があり、それを抽象化出来ればあるいは、と思いましたが、内容的にちょっと違うというか……それは私には無理そうでした。
無くて七癖と言う通り、癖は無意識のものだと思うのですが、スマホ依存のひとがスマホを触るのもほとんど無意識だと思うのです。
「何も用がないのに開いてしまった」
「特に何をする訳でもないのに」
これはスマホ依存だと習った気がします。
そして、無意識のうちにスマホを触るのと、無意識のうちに髪を触るのではどう違うのでしょうか。
「依存」といえば、生活に悪影響を及ぼす感じがします。
ですが、「悪癖」ということばがあるように、癖だって生活に悪影響を及ぼすと思うのです。
そして、わたしには自分の唇の皮を噛みちぎる癖があるのですが(おかげで荒れ放題です)、そういうものを依存ということばに変換したことはないです。
ちなみに、唇の皮を噛みちぎるのは単なる無意識ではなく、多少意識してやってます。それでもやめられないというか……皮が剥ける感覚が気持ちいい、その皮を口内へ招き入れたときの舌触りが楽しい(皮を剥くのにも多少の格闘があるので、感覚的には戦利品です)、そういう思いで「好きでやってる」と言えると思います。
「好きでやる」というのは依存の領分な気もしますが、なにぶん、タバコやスマホやギャンブル以外に依存ということばを当てはめたことがないもので、どうにも結び付けづらかったりします。
唇の皮を噛みちぎるのは依存でしょうか。
ちなみに唇だけでなく口内の薄皮も噛みちぎります、とにかく荒れ放題です……()
ところで本題の「小難しく答えのないものを考えてしまう」ことについてです。
どこかで人間は考えるのをやめることができない、何も考えないようにすることは「何も考えないようにする」ということを考えている、ということを聞いたことがあります。出典が定かではなく、嘘かもしれませんが……。
それにしたって、もう少し他の脳の使い方があると思うのです。
好きなもののことを考えたり、ご飯のことを考えたり(食べ損ねることもしばしば)、昨日見たテレビのこと、勉強のこと……。
それらを考えない訳ではありませんが、脳のリソースのほとんどを先述した変なことに費やしてしまいます。
わたしにとって「好き」は今迷子で、自信を持って「好き」といえることはあまり多くないです。
また、「好きじゃない」「嫌い」と自信を持っていえることもほとんどないです。
(好きなキャラの好きなことを考えたとき、悪口しか出てこず本当に好きか疑わしくなりました……今一番好きなキャラのはずなんですが)
だから、変なことを考えることに関して、好きかどうかわからないのです。困っているのは確かですが(好きなアニメを見ているとき、ひとと話しているとき、勉強しているとき……、対象の好き嫌いに関わらず、変なことを考えるのに意識を飛ばしてしまい、「心ここに在らず」になることがよくあります。目の前のことを大事にしたいときは少なくないのに、それができない)。
考えることは意識的にも無意識的にもでき、意識的にするときには外部の情報を遮断せねばなりません(アニメを一時停止する、など)。そうしなければ考え事に集中できないのです。
無意識的にするときは、外部がどれだけうるさかろうとお構い無しな気がします。
プロトコルが違うことに拠るのでしょうか……。
後者は居眠りの感覚に近いです、気付いたら寝ていて、たった今起きたことによりそれを認識するように。そして軽い記憶喪失のように、今何をしていたんだっけ、となり、ああそうだ、今は授業中だ、と合点がいきます。
変なことを考えるのは、きっとずっと昔からでした。ものごころがついた頃、本当に幼い頃、入眠のために目を瞑ると宇宙が見えて、この世にあるものは全てに終わりがあるのだ、ということに気づき、それがなんだかとても恐ろしくなって母に泣きついたことがあります。
同じ頃、これもまた寝る前の話ですが、自分の体に対して「これは何だ?」と思ったことがあります。魂と入れ物の概念のように。そうすると入れ物である体の方が無性に気持ち悪くなり、厚くて野暮ったい服を着たときのように脱ぎたくなったことがあります。
多分、この現象は、私を苦しめます。
何も考えずに済むなら、脳内がお花で満たされるなら、それほど幸福なことは無いと思います。
それぐらい嫌なのです。
この「嫌」は、依存に向けるもののような気がしますが、「悪癖」にも使えそうですね……。
長くなりましたが、とにかくわたしは今、依存と癖の違いについて知りたくて仕方ありません。
どうかご教授のほど、よろしくお願いします。
130609通目の宛名のないメール
小瓶主の返事あり
お返事が届いています
つな
(小瓶主)
いっぱいお返事が届いていてとても嬉しいですありがとうございます……!
テーマがテーマだけに難しい話で、これはどうなんだろう、とか思うこともありますが、色々な見識を知られて良かったです。
何通かで見た、癖と依存は別物であり共存する場合がある、というお話に納得したものの、それでは
癖と依存の両面を持つAという行動の名前は癖になるのでしょうか、依存になるのでしょうか(どちらが強いか、遺伝のように言うと優性かという話)
さまざまな小瓶、噛み締めて自分の考えに昇華したいと思います、改めてありがとうございました!
ななしさん
癖は無意識に習慣化している行動。
彼は緊張すると爪を噛む癖がある、とか。
依存はそのモノが無くては生きられない状態なこと。
スマホ依存はスマホがなければ生きていけない状態。
ななしさん
あくまで私の持論です。
癖は意識してやめることができやすい・やめても精神的ダメージを負いにくい。
依存は意識してやめることができにくい・やめると精神的ダメージを負いやすい。
というイメージがあります。
例えば「髪を触る癖」ですが、髪を触る瞬間に「あ、触っちゃダメだった」と思えたなら触らずに済むと思います。
また、髪を触るのをやめたとしても、イライラしたりモヤモヤしたりは少ないように見受けられます。
ですが「ゲーム依存」は、ゲームをする瞬間に「あ、やっちゃダメだった」と思えても「まあバレなきゃいっか」「ちょっとくらいなら…」と思ってやってしまうと思います。
無理してゲームをやめても、ゲームがしたくて堪らなくてイライラしたりしてしまうのです。
私なら唇の皮を千切るのをやめてみて、どう思うかで判断します。
無性にイライラしてしまうなら依存、特に気にならないなら癖ではないでしょうか。
前述した通り、あくまで私の持論です。
このような考え方もあると、軽く受け取ってください。
まだこの小瓶しか読んでいませんが、小瓶主さんの考え方や思考がとても好きです。
宜しければですが、またこのような小瓶を流してください。
癖と依存の違いについて考えるのは楽しかったです。
このような機会をくださりありがとうございます。
ななしさん
「癖」も「依存」も無意識に身についた習慣や振る舞いのことを指していると思いますが、相違点を挙げるとすれば、癖は意識して止めることができれば問題が解決するのに対して、依存は自らの意志で止めようとすると心身に不調を来す場合があり、問題が解決(依存から脱却)するまでに他者からの援助と長い時間、強い意志を必要とする点で意味が異なると考えられます。
まとめると、このようになるかと。
癖 → 自分の意志で止められる無意識の習慣や振る舞いのこと(例:筆癖、浪費癖など)
依存 → 日常生活に支障が出るレベルで止められない動作のこと。仮に強い意志で止めることができても、身体や精神に強い症状(禁断症状)が出るケースが多い。(例:薬物依存、スマホ依存など)
個人的な見解になりますが、参考になれば。
名前のない小瓶
面白そうなテーマなので参加してみます。
英訳&語源から考えてみました。
癖(habit)=習慣
依存(reliance)=頼りにする、拠り所
癖は性質、依存は心理的な状態
・唇の皮を噛みちぎるだけなら癖
・それが悪いことなら悪癖(=悪い習慣bad habit)
・噛みちぎる行為を心理的な拠り所にしていれば依存
・「依存症」は脳の病気(依存症≠依存)
ななしさん
依存は対象がある
癖は対象がない
かな
依存は「タバコ」「ギャンブル」などの明確な対象があり
癖は動作や行動を示し表しているように思います
厳密にいうと、リスカ依存などはちょっと違いますが
それ考えると第3者から病的と判断され、場合によっては
治療の対象になる
悪性・悪影響の高そうなものが依存なのかと思います
僕個人は”やめたくてもやめられないもの”が依存だと
思っていて、だから対して
癖は習慣になってはいるものの、やめようと思えば
やめられるものだと考えます
名前のない小瓶
癖で、しかも依存している。
癖だが、依存してはいない。
癖でないが、依存している。
癖でないし、依存もしていない。
極端に分けるとこの4パターンになるかと思います。もちろん、それぞれに度合いがあるとは思いますが。
おっしゃる通り、癖は無意識によって習慣化している行動や思考のことを指すと思います。
依存は、その対象物がなくなってしまうと大変困るような状態を指すと思います。
癖か依存のどちらか、ではなく、両方である場合、または両方そうでない場合もある、というアイディアから、さらに考えを深められてみてはいかがでしょうか。
以下はまだお返事がない小瓶です。
お返事をしていただけると小瓶主さんはとてもうれしいと思います。