余り関係ないかもしれないが、神のいる神社と仏のいる寺とは、呼び方が違うので、きちんと区別した方がいい。
神社には普通願い事をしに行ったりそのお礼参りに行ったりするのだと思う。神社には神がいるから、その神の前に行く際は、心を清くするのがいいと思う。神だから見ればその人の心が清いか清くないかくらいすぐにわかると思う。その人の行いも、たぶん見えると思う。
仏の場合は、寺に行くのは、先祖の墓参りか、その他の参詣だと思う。朱印を集めるのもいいかもしれないが、むしろ、その本尊にお経をあげに行くというくらいの方がいいと思う。仏の場合もそうかもしれないが、寺に金を出すのは、一言で言ってしまえばその寺を維持するためである。或いはその寺だけでなくその寺が属している宗派を維持するということもある。仏の場合も、その仏が居るための場が必要であり、それを寺としてつくっていて、寺はその場としていて、僧侶はその維持をしているということである。その寺が金を必要としている場合もあるし、その宗派が金を必要としているという場合もある。京都に行って遊ぶ金がほしいという寺も、或いはあるかもしれない。ただ、それも僧侶という人間にとっての話で、仏自体が金を必要としているかどうかとは違う。まあ、金というのも結局は紙・金属・数字であるが、そういうものに価値をあらしめているのは人間であるから、仏にとっては、そのような紙や金属や数字を見ても、それほどほしいとは思わないかもしれない。それらの仏にとっては、お経やあなたの信心の方がよほどうれしいと思う。だから、朱印帳に朱印を貰いに行くということよりは、お経をあげたりする方が、いいと思う。
そういうことを考えれば、ただ願い事をしたりする方が、いいのかもしれない。お経といっても、般若心経や観音経の偈、げ、そして舎利礼文をあげて、回向文をあげるのがいいと思う。
まあ、寺にとっては、あなたが金がほしいというのと同じ理由で金がほしいだけかもしれないが。寺を維持するというのも、結構大変なのだと思う。京都に行って芸者をあげて遊ぶというのでなければ。
余り関係なかったかもしれないが、この辺で書くのを止める。