私は子どもの頃、一時期、山の中?に住んでいたことがあります。
山とは言っても、田園風景の広がる平野の中にぽつりとある、山がちな地域といったところでしょうか。生まれも育ちも、そして現在も私は地元で生活していますので、今でもたまに、あの頃に住んでいた場所を散策したりします。
今の住まいからは少し距離があるので車で行くのですが、脱輪してしまいそうなほど狭い道などを走るのはできれば避けたいですし、子どもの頃の私が歩いていた道はもはや獣道ですので、森林浴?も兼ねて、近くに車を停めて歩くことにしています。
今回は舗装されてない道を歩こうと、もはや山歩きをする気持ちで、それなりの格好をしていたのですが、当時はよくこんな道を歩いていたなぁ、と思います。
春ということもあるかもしれませんが、草はすでに私の腰より上まで伸びてしまって、もう誰もこの道は通っていないのだなぁとも思います。掻き分けて進んでゆくと、見覚えのある鳥居が見えました。当時よりももっと色あせていましたが、稲荷神社のお稲荷様はそのままでした。
当時からそのままのモノもありますが、色々と変わっている風景もあり、昔は雑木林だった場所が、今はソーラーパネルが並んでいたりと、寂しい気持ちもあります。とは言え、変わって行くことが自然なのだと思う今日この頃。当時の家が残っているのを見る度に、色々と思い出が蘇って来てしんみりとしてしまったりもします。
夏時に雷が落ちて停電してしまう時には、消えていたテレビが突然ついたかと思えば、あとは全くの砂嵐で壊れてしまいます。お隣さんというものは無く、畑をいくつか挟んで家々が点在していました。
今はもう無くなってしまったのですが、近くにトタン張りの駄菓子屋があって、お小遣いをもらっては、その唯一のお店に通っていたことを覚えています。寂しいものですが、私の地元では、もうすっかり駄菓子屋というものは無くなってしまいました。夏の昼下がりに食べたスイカバーの清々しさと、夏の空の色は、いわば私の心の原風景なのだと思います。
歩き始めて一時間ほど経ち、長い散歩にのどが渇いて、近くの公民館にあった自販機で買った炭酸飲料を飲んでいると、当時とは変わってしまったけれども、これはこれで心に染みるものがありました。
山の中には窪地になっている場所があり、その中心の高台には古い神社がありました。今回の目的地はそこで、引っ越してからは一度も行ったことがありません。
曖昧な記憶を頼りに歩いてゆき、見覚えのある梢のトンネルの坂道を下ると、一気に視界が開けました。今見ても随分と自然豊かな場所と言いますか、雄大な景色だなぁと思うのですから、小さかった頃は余計にそれらが大きく見えたはずです。当時はイノシシや雉撃ちをする音が聞こえていました。
田んぼ道を抜けて、雑木林に入り、長い石段を登ってゆくと、木々の梢が涼し気な音を立てて揺れ、それに合わせて落ちる光も揺れる。遠くに見える青空は、相変わらず他の場所よりずっと高く見える。
嗚呼、実にChillです。風情が無い表現ですね笑。もう本当に、Chillじゃないことばかりです。満員電車とか。